以下の内容はhttps://laborkounion.hatenablog.jp/entry/2025/08/03/122228より取得しました。


国労への晩鐘、そして21世紀労働運動へ   2025年6月note掲載

国労っていうのは総評の中心だから、いずれこれを崩壊させなきゃいかんと。それを総理大臣になった時に、今度は国鉄の民営化ということを真剣にやった。皆さんのおかげでこれができた。で、国鉄の民営化ができたら、一番反対していた国鉄労働組合は崩壊したんですよ。」これは2005年のある討論番組で中曽根康弘元首相の発言です。一国の首相経験者が白昼堂々と不当労働行為を行なった発言ですが、右派からの「国鉄労働組合責任論」の前にこの発言の問題性を重視されないまま現在に至っています。国鉄労働組合は確かに当時の水準から見ても、かなりギリギリまで攻めており労働省の官僚より国労の役員の方が態度が尊大だったのは、日本社会党側の記録にも残っているほどです。国労出身の代議士は多く、一部地域しか存在しない製造業労組よりも官公労の方が選挙の実行部隊として機能したのは全国どこでも満遍なく組合員が存在したからです。その中でも国鉄労働組合は重要な役割をこなし、社会党内には「国労族」という非公式の派閥があったほどです。当時労働組合は一つの企業に複数ある事が当たり前で、国鉄もそうでしたが、国労内部にも民同左派である社会党支持派、共産党支持派に分かれており、前者のリーダーが後に代議士となる富塚三夫、後者のリーダーが細井宗一でした。細井は旧陸軍時代、同郷同じ年の田中角栄の元上官で田中の労働組合の知識はこの細井からのものが大きく、後に国鉄民営化問題の運輸族として分割化は反対していました。当時自民党キングメーカーで実際国労幹部と田中角栄の直接交渉も行われる直前でしたが、田中が倒れその下についていた民営化賛成派の金丸信が、賛成急先鋒の三塚博を後押しし歴史が決定されました。田中の権力が健在だったら民営化は形が変わったのかもしれません。閑話休題

 国労は外地引き上げの旧満鉄などの復員兵などが雇用の調整弁などで入社し、その組合員数は50万に超えた時があります。赤字の元凶に言われる事もありますが、政治家の「我田引鉄」、国会で予算の決定が決まらなければ猛インフレの最中でも運賃値上げができない。当時の政権にいいように使われて、巨額な赤字を生み出した側面があり決して労働組合ばかりが悪いわけではないのです。しかし歴史は国労に全ての責を負わせました。そしてこの国労の崩壊を見て歴史は変わったかのように思えます。資本側が本気になれば潰されてしまう。国労もなりふり構わず他産別と連携し事を構えれば良かったのに、執行部がセクトを作り意思が全く統一できなかったこと。労戦統一運動も重なって他の産別も国労について支援する余裕がなかった事。これほどの巨大な労組でも滅びるときはあっさりです。

 

国労の分裂 新労組の誕生

 1986年国労修善寺大会では、分割•民営化を容認する山崎俊一委員長執行部と反主流派との対立が続きました。山崎は当時国会議員に転出していた富塚三夫のグループでした。執行部は総退陣をし共産党向坂逸郎社会主義協会の支援を受けた六本木敏が新しい委員長になりました。実は六本木自体は社会党員でセクトに入っていなかったため反主流派に担ぎ出されたという側面もありました。ただこれが国労分裂の始まりで、敗北した社会党グループである山崎前委員長は国労を脱退。日本鉄道産業労働組合総連合いわゆる鉄産総連を結成します。

 国鉄には小労組も存在し公明党系と言われた全施労、国労分裂組だが革マル派の影響力が残っていた真国労などその他小さな単組も民営化賛成に転向した動労、同盟傘下鉄労とで全日本鉄道労働組合総連合会を結成します。大半が分割•民営化に変わってしまった今非主流派の国鉄労働組合は少数派に転落しました。その後、旧動労主導の運営に反発した旧鉄労系が国労分裂組の鉄産労連と合流し現在のJR連合となっていきますが、いかがでしょうか?難しい流れだったでしょう。最盛期は50万人という巨大な労働組合だった国鉄労働組合は現在も残っていますが、定年後の再雇用を含めて3000人ほどと言われています。政治運動では社会民主党を応援する単組が多いですが、国労出身の立憲民主党議員は存在します。むしろJRは現在労働組合に入らない人が増えていますが。これはひとえにJR総連国労の脱退者の受け皿がJR連合が取り切れていないからでしょう。JR労組の全体的な衰退は食い止めねばなりませんが、果たして。ただこうした国労の解体は全ての産別にも衝撃を与えました。

 

自民党労働組合

 総評にせよ、同盟にせよ何かと頼りにならない日本社会党民社党より直接政府、官公庁、そして自民党の大物とホットラインを通じていたのは当時の労働運動関係者は皆が言う事ですが、労働組合法などの立法に携わり、労働組合との太いパイプがあったのは倉石忠雄ら福田派、清和会にありました。そもそも主流派の田中派や官僚系の大平派は運輸、建設、郵政といった資金源にも票田にもなる方を独占し、非主流派が長かった福田派には文教、労働行政という実入りも少なく票にもなりにくい方ばかりがあてがわれました。現代の驕り高ぶった清和会とは全然違います。という事で歴代労働大臣を見ると分かりますが、福田派出身者が非常に多いです。田中派は野党議員にパイプを繋ぎ、福田派は労組に接点がありました。これはのちの政権交代にも微妙に響いています。

 ただ清和会において、国鉄民営化を推し進めたのは清和会、三塚博ですから。ただ同じ運輸族三塚博と反対したのは加藤六月であり、加藤系列には亀井静香、平沼からなど極右もいました。こうした極右系は自民党に残留し、後の郵政民営化で再び政局が起こりますが、今回話の本筋ではないので置いておきます。国労のドンであり、総評事務局長から日本社会党代議士となった富塚三夫は、「開かれた総評」を目指して他産別と協調路線で、後にポーランドの「連帯」に日本の労働組合の一つとして国際連携を行い、若くして亡くなった社会党書記長である平林剛の後継者として落下傘の代議士として旧神奈川5区で戦います。ただ国労が衰退していく中で富塚は結局2期まで。彼は自民党議員に非常に多くのパイプがありましたが、それを活かせることなく社会党を離党後は民主党に入党しています。もともとは三木武夫接触し、労組、社会党改革派、民社党内社公民グループ、公明党、一部中間政党の大同団結の政権交代を目指す現実路線革新政党構想もありましたが、全部歴史のifとなっています。

 

富塚の連合評

  富塚三夫という人は国労が無くなり、連合との関わりは薄くなりましたが、もともと労戦統一派のリーダー格で、現在の連合の姿を「会議が多すぎて、何のための組織なのか?」と批判します。総評時代、富塚もゴルフが趣味で反富塚系から「ブルジョワ趣味の労働貴族」と悪口を言われていた人ですが、この批判論は耳が痛い問題です。官製春闘のような事をずるずると認め始めた結果、労働組合不要論が高まっているなら、私たちはもっと厳しく律しないといけません。労働組合の機能は賃上げだけではありませんから。

 富塚はとにかく地方に拠点を作って、カンパなど資金集めがもっとできる環境にせよ!と亡くなる直前まで訴えていました。私がなん度も言っているように、基本的に企業別労組が予算の大半を使ってしまい、産別の数割、連合にはほんの数パーセントの費用を納めているのにすぎません。圧倒的に連合は費用が足りないのです。ただこれは嬉しくないことでもありますが、製造業を中心とした日本企業の衰退が企業別労組の影響力が薄くなり、それに伴い産別の求心力が低下。多少なりに連合という組織がマスコミに取り上げられるようになり、こうした資金面の改革は行なっています。かつて地区労は全国津々浦々、ナショナルセンターの枠組みを超えて存在しましたが、今後は連合が地区ごとに専従職員を置いて、組織化に力を入れないといけません。新聞の報道は連合に頭の上がらない立憲民主党、国民民主党という報道の仕方がありますが選挙機材すら用意しない政党の選挙を1から10まで付き合った挙句一部代議士による、ましてや労組が手伝った議員が「連合不要論」を唱える姿は流石に私達を馬鹿にしてはいないか?そう思います。改革はどんどん進めるべきでしょう。

 

連合労働運動

 あなたが労働相談したい時に、連合の地域協議会がどこにあるのかご存知でしょうか?それよりも産別で労働相談をした方がいいのかもしれません。産別はオルグをキチンと派遣してくれるので。そうした事を今後連合も積極的に行うべきですが、なにぶん拠点がというより資金が不足しています。今後は「中央会費制度」を儲けて連合に安定的な財源をもたらす運動が必要で、だいたい日本以外のほとんどの国の労働組合ナショナルセンターが1番財源がある状態ですが、私たちはなかなか企業別労組を克服できません。産別自決のもと、組合費を投資するほど余裕がある単組、産別の余剰金を1人の経理に何十年も任した結果、何億円横領されても気づかないというニュースが一時期頻発しました。そのせいで、疑われていたのは経理担当や私のように組合員のお金に携わる役員。真面目に取り組んできたのに、そもそも組織として属人化を許し万事良きに計らえといった歴代委員長の責任はゼロなのかどうか。これをいっても詮無いことだとは分かります。ただ労働運動は多少個性が豊かになりました。私が誘われて労働運動に思い切って加入した時、バツイチだわシングルマザーだわ別れた旦那の義父母が私を全て助けてくれ、専従という本業よりも疲れが溜まる活動に没頭する事ができました。3年やれば家族が無くなるという言葉があるぐらい労働組合の役員は大変ですが、そうした事を経て今があります。私がこうして労働運動の事をnoteに書く事ができるのは、ひとえにたくさんの人の助けがあったという事他ならないです。労働組合は変わらないといけないです。私の若い時分は七三分けでメガネ、演説は上手いが社会政策については非常に保守的。かつての労働組合はそうしたイメージがあり(間違っていませんが)これは実は万国共通であるという事を知って、驚くともに私は私で新しい労働運動を作っていき、そして未来の世代は私達がもっとびっくりする進歩的な労働運動をおこなってくれると信じています。私が専従を始めた頃、息子は赤ちゃんでしたがもう高校生です。時の流れは早い。子育ての悩みは今も尽きてないですが、未来の子供たちには希望が持てる労働環境を残していきたいですね。

 

まとめにかえて

 国鉄労働組合について、できれば今年中に掘り下げていきたいですが、今年は本来やる予定もなかったブログを始めました。労働運動家として、社会主義者として、真のインターナショナリストを目指して、少しずつ始めています。日本でも党派を問わず女性が労働者団体のトップに立った時、棚ぼたとはいえこうした前例を作ることで女性の労働運動家が諦める事なく今後も活動できると私は非常に前向きに考えました。彼女の言動に批判があった。それについては政局観がないと言われるかもしれないですが、トップの動向がマスコミに取り上げられて政治に全て絡められるのは労働組合ぐらいだし、連合だけです。農協も医師会も野党と会談ぐらいはするのに、いつも何だかなとは思います。それだけ政治に関与してきた団体なので仕方がないこともあるでしょう。ただ連合側というより労組側の意見ですが、連合は政党に注文はつけても人事を変えろとは多分ほとんどの地域で行われていないことですよ。総評、同盟という枠組みはゼロではないですが、統一以降の世代はいつも労働組合の未来を考えていました。昭和の労働運動よりも21世紀の労働運動はそれ以上に市民から支持を受けるものではないといけないですね。民主党時代には、自民党に負けて負けて負けまくってしまった時代もありますが、民主党中央に組織化のプロがいて、いつも私達のような地方活動家を鼓舞する人がいましたが今やそういう人も引退しました。それを受け継ぐ人はもっと未来を語ってほしいとは思います。そのためにはまず労働組合なりに未来を語ることですね。本音を喋る人がいなくなった。若者も私のような中年もベテランも。だからこそ中間団体の復活は急務だと思います。




以上の内容はhttps://laborkounion.hatenablog.jp/entry/2025/08/03/122228より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14