※これはid:kojitaken さんが主催する「鍋パーティーのブログ」に投稿する予定の記事の(案)です。一応目安として7月の参院選前を予定していますが、遅れる可能性もあり、予定は未定です。
※序盤を投稿していますが、注釈等をつける予定で完成版は若干文章が変わっている場合もあります。
「正直、このぐらいの金額はある。退職金を含めればこれぐらいになる」
どこかでお話ししたかもしれないですが、私は労働組合の専従書記、役員として一貫して共済とろうきん推進委員として10年以上勤めてきました。様々な変遷を得て、現在は後輩にその道を託していますが、先輩として彼女が迷うことがあれば手伝っています。ろうきんも「全労済」も昔とはかなり変わり、新しい事を覚えるのは骨ですが楽しくやっています。さて冒頭のセリフは私の会社の先輩のものです。地元ではそれなりに有名な企業ですが、グループ子会社で総合職でもなく年齢はそろそろ定年。先輩はろうきんで財形を18歳からはじめ月に5万円、さらにボーナスの大半も財形に回し政府が老後に必要だと言われている資金を優に超えた金額を貯めました。退職金を入れるとさらに増えるし、当然彼は65歳まで働く予定なのでまた状況が変わるかもしれません。それでも不安を吐露していました。家はお兄さんに譲り、自分はアパートに住んでいます。「金さえあれば、どこか施設があるはずだ」という事をよく言います。そういう未来であってほしいという願いも込めているようにも思えました。人間はその生き方に対し、間違いはあっても、正解はありません。自分の選んだ道がベターである事を信じて生きていくというのも、将来を考えれば不安に思う気持ちは私もよく知っています。何があるのかわからない?その不安のはけ口が今、何にも罪がない人に向けられていると強く感じています。
まだ労働組合というものが存在していない17世紀にイギリスで「友愛組合」として相互扶助を目的とした共済組合が誕生しました。日本では江戸時代に鉱山で働く鉱夫たちが「友子制度」という相互扶助の制度がありました。石見銀山が著名ですが、当時の鉱夫も一つのミスが大怪我に繋がりかねない危険な職場で、動けなくなった人に米、味噌、薬を支給され、子供には養育米が送られる。こうした事は昭和40年代まで続いていた事は法政大学の村串仁三郎名誉教授の記録映画「友子儀式 北海道夕張市真谷地炭鉱楓坑」などで確認できます。1957年に全労済が誕生し、当時の自民党政権は民業圧迫の名のもとに共済事業そのものを規制する方向もあり、その都度ロビイング活動を行ってきました。こうした活動は全労済よりも農協の全共連の方が矢面に立ってきましたが、当時はいわゆる「族議員」と言われる人達を自民党は多く抱え協調主義的な審議会を経て、共済事業と保険会社双方が共存できる体制を築いてきました。ただ社会の変化も手伝って、既存のシステムをそのまま続ける事すら難しくなっています。悪い事とは思わないです。だけども温故知新という言葉もあります。何を変えて、何を守らないといけないのか?私達は問われています。現在、自民党から日本共産党まで新自由主義の影響を受けていない勢力はありません。過去、労働組合には多数の質問が寄せられ、私も短い間ですが、労働相談員を経験した事もあります。21世紀もすでに四半世紀を過ぎようとしています。「新しい社会主義の相談員」として、質問に回答していきたいです。〈続く〉