1990年総選挙で日本社会党は土井たか子執行部のもと、本来は労働組合出身者ばかりの政党からいわゆる「68年世代」学生運動経験者の市民活動家、弁護士、女性代議士を次々当選させます。この時、当選した「社会党らしくない」代議士たちは選挙から2ヶ月後いわゆる「ニューウェーブの会」の結成します。近年の「チルドレン」と言われる人達は、権力者に阿る人達ばかりですがそもそも「68年世代」が中心の「ニューウェーブの会」は先輩議員や党の重鎮をものともせず、従来の党の路線ですら否定的な意見を述べるなどまさに社会党の「政策新人類」でした。
ニューウェーブの会は松原脩雄、仙谷由人ら弁護士出身が多数。マスコミ出身の池田元久、岡崎トミ子、医師、看護師、スナック経営まであらゆる階層から構成され、従来の労組出身者、地方議員はかなり少数派でした。これほど多士済々のメンバーが集まったのは、前年の参院選で「社会党らしくない」人を次々とスカウト、当選させていたからです。ニューウェーブの会は頻繁にマスコミに登場、安全保障問題や社会福祉論も論じました。彼らの主張をまとめて見れば、いわゆるアンソニー・ギデンズの「第3の道」に近い主張もあり、時代を先取りしていたものもあります。実際後年誕生した菅直人内閣は「第3の道」を称していました。その閣僚にはニューウェーブの会も多く閣内に入っていました。ただニューウェーブの会はイデオロギーでまとまった集団ではなく、松原、仙谷のような弁護士出身は「ニューソーシャリスト」のような改革を望んでいましたが、外口玉子など土井たか子直系とも言える代議士は護憲派で、マスコミの注目がなくなると自然消滅しました。
ただ社会党改革の「新しい波」はまだ続いており、超党派の議員集団「シリウス」が形成されていきます。社会党は70年代、80年代の長期低落傾向の中で、野党共闘路線を模索しますが民社党にも派閥があり連携が冷淡な派閥の時は没交渉になり、また公明党も自民党と連携する事も多かったです。元々公明党は竹下登ら「田中派」と連携が深い勢力でした。民社党、公明党は2つで1つであり、社会党との連携はほとんど進まなかったのが55年体制の後期でした。こうした社会党改革派も自民党の機運に押されたのか、小選挙区制導入について熱心に取り組む代議士もいました。こうした社会党改革派は後の政界再編に向けて、新党の結成などを行いますが、基本的に老練な自民党改革派と結び、それが民主党に収斂される中でニューウェーブの会が主流となって政権を樹立した形跡はありません。菅直人内閣では、ニューウェーブの会出身者が閣僚となりましたが、これは当時の実力者である小沢一郎に反発する勢力の一つとして仙谷ら元改革派の姿があっただけです。本来なら、西欧型社会民主主義を訴えているニューウェーブの会がいくら同じく選挙改革論者でも、保守系と同居する事はあり得ない事です。社会民主主義という理念はこの頃綺麗に吹き飛び、小選挙区制のもとに「選挙互助会」が野党第一党になってしまった。これは明らかにニューウェーブの会含めた社会党勢力の大きな間違えでした。
労農派が強い影響力を持つ左派社会党は福祉国家建設を否定し、右派は政局に甘い面があり、最右派であった民主社会党も寄り合い所帯という党組織を克服できず小政党のままでした。社会党政権は誕生してもケインズ経済を取り入れた福祉国家路線はかなり形を変えて、保守系が不完全な形で導入しました。再び社会主義としての勢力を日本の国政で勢力を持たせないと公共は破壊されてしまう。そういう危機感を持っています。
堀込征雄「90年代の政治改革と政界再編の深層」を参考にしました。