1996年、日本社会党の歴史は終わり全都道府県にあった社会党地方組織は現職、元職の代議士中心に一部がローカルパーティーを結成します。社会党東京都本部は80年代に社会主義協会と江田三郎派の筆頭産別である全電通の間で内紛があり、勝利した全電通を経由した党員が一気に増えて都本部は一気に旧構造改革グループが主導権を握ります。その中で土井フィーバーもあり、協会でも労組でもない第三極の市民派出身の地方議員も誕生します。彼らが「Jネット構想」の重要なメンバーになり得る位置にありました。
「東京市民21」もそうした新しい潮流から誕生した地域政党でしたが、実際に民主党が結党されると大きな奔流の中にこうした形跡は消えていきました。ただ96年から約20年後の2017年に希望の党政局から立憲民主党が誕生。初期の立憲民主党の地方組織は元「新党さきがけ」の責任者、地域市民運動出身者、NPO団体など実に多士済々の模様でしたが、これも現在の立憲民主党になっていくにつれて消えてはいませんが当初より小さくなりました。ただまだ「火」は残っています。
「社民リベラル」、「民主リベラル」という言葉が社会党内で踊り、鳩山由紀夫が「保守リベラル」と言い出した頃の時代です。リベラルという言葉があまりに曖昧で、民主党もそれに引きずられるように何をしたいのかわかりにくい勢力、政党になりました。センターレフトとしての立場を明確にせよと比較的中間派に近かった故大橋巨泉参院議員が鳩山由紀夫に迫ったというエピソードがありましたが、民主党結党大会で鳩山は 「命もいらず名もいらず」という演説をした人です。鳩山由紀夫の本質は保守、それも右翼だったと確信しています。まず彼が左翼政治家であるという誤解を本物の左派勢力は解いていかねばなりません。