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社会民主主義、ハンブルクにて (note転載)

 *noteにて比較的アクセスが多い発信をブログに転載していきます。また補足記事を掲載していきます。

 

 1951年社会主義政党の国際組織である「社会主義インターナショナル」は西ドイツ・フランクフルトにて国際共産主義運動と完全に決別したいわゆる「フランクフルト宣言」を採択します。当時の社会主義政党内には、親ソ派どころかほぼスターリン主義者という派閥も各国存在していたのですが、この国際的な取り決めがなされると党内親ソ派は大体各国の共産党に本籍も移すようになります。こうした流れの中で生まれたものが、ドイツ社会民主党の1959年「バート・ゴーデスベルク綱領」でしょう。ドイツ社会民主党は第二次大戦以前は議会主義と直接行動による革命をどちらかを柔軟に選択するという日本共産党の「敵の出方論」と同じ戦術を採用しましたが、「バート・ゴーデスベルク綱領」では階級闘争を完全に放棄し、議会主義による漸進的な社会改良主義を唱えるようになります。イギリス労働党、そして実は日本社会党もこうした議会主義によって政権を獲得していたので、その成り立ちからか革命による政権奪取を必ずしも否定していない万国の社会主義勢力は、これを機に階級革命論は戦略として捨て去りました。こうしたドイツ社会民主党の議会主義はヨーロッパだけではなく、他国にも知れ渡れアフリカでは黒人解放運動の団体が最終的には選挙による政権獲得を目指すようになった一つの道標を示したと思います。
 終戦から1970年代までは各国戦争の傷跡も徐々に消え、産業が発達する中で生活のセーフティネットのひ弱さを認識し、ソ連による暴力革命も警戒しつつケインズ経済学による「福祉国家路線」を構築するようになります。戦前からの活動家である西ドイツウィリー・ブラント、イギリス労働党ではハロルド・ウィルソン、少し時代はずれますがフランソワ・ミッテランアメリカでは社会主義者ではないものの福祉政策にも功績があるジョン・F・ケネディなど多士済々の人物が次々と輩出されます。この社会主義政党による政権奪取、その統治は「黄金の30年」と言われ、格差の拡大もジニ係数から判断すればかなり縮小された時代でした。また党の支持者より指導者の支持者の方が多いリーダーを大勢世に出た事もあげられます。しかしアメリカ大統領が発表したドルと金の交換を禁止、いわゆる「ニクソン・ショック」は、いやがおうにもグローバル経済の移行が進み、続くオイルショックで高度経済成長時代が終わり、各国経済成長が鈍化すると従来の「福祉国家路線」は槍玉にあげられ、経済成長の阻害要因とみなされます。そもそも施設の老朽化や階級社会の苛烈さもこうした経済成長の阻害要因だったのですが、一部の保守派はシカゴ大学の経済学者と結託しました。これが「社会民主主義冬の時代」サッチャリズムレーガノミクス旋風でした。
 なんだか世界史の勉強のようになってしまいました。ただこれはまだ長い前置きの一つです。もう少しお付き合いくださいませ。「黄金の30年」以降、社会主義勢力の退潮は明らかでした。特にソ連の動揺は、国際共産主義と決別していたはずの西欧社会主義勢力にも打撃がありました。手法の違いあれ同じ発想から社会主義共産主義も出ているため、新自由主義の大旋風は社会主義のデメリットばかりがあげつられ、その強力な同盟者であった各国の労働組合は旋風の前に組織力を減らしていきました。戦略の見直しは確かに必要でした。ドイツ社会民主党はこうした危機に対して1989年「ベルリン綱領」を採択します。この綱領は労働者の「生活の質」の向上、そのための環境政策ジェンダー平等が追加され、労働者の党でありつつもあらゆる差別に反対する組織として確立しました。これは社民党の有力支持団体である労働組合は、基本的に西欧最強といわれたドイツ緑の党との連携は否定的でしたが、社民党が今後も政権を担うにはこうした連携路線も必要であるという考えが綱領に盛り込まれました。ソ連が崩壊以降は、「ブラントの孫」と言われる日本で言えば「団塊の世代」と言われる学生運動上がりか党青年部で急進的な活動をしていた世代が続々と要職に就き始め、新生社会民主主義勢力として弊害も見え始めた新自由主義勢力に批判を浴びせました。
 ただ思います。これが間違いの始まりではなかったのかと。90年代に幹部になった戦後に生まれたベビーブーム世代の社会主義指導者は伝統的な福祉国家路線どころか社会主義の前提すら消し去ったように感じるから。

 

第三の道の誤り
 1997年、イギリス労働党トニー・ブレアが首相に就任。労働党として18年ぶりに政権の座に就きました。彼は党の近代化を図り、労組依存体質であった労働党を党員中心の運営に変えました。私も労働組合の人間として、このような改革は一部賛成です。当時の労働党は労組の党員が100人いるのならその100人の意思より組合長の意見が優先され、その100票が意思を別として投票されるという運営方法をしていました。これは労働党労働組合を根にして誕生した政党だからそういう事もできたのですが、90年代においてそれは、デメリットでした。ブレアの労働政策は、「ワークフェア」という考え方です。聞いたことがあるでしょうか?これは公的扶助受給者に対してその受給要件として労働あるいは労働関連の活動を義務付けるものでした。ブレアの政策は社会的包摂を持ったものであると当時喧伝していましたが、この一見良さそうに感じるワークフェアに疑問を感じた貴方は鋭いです。これは社会構造の転換ではなく労働者個人の責任で帰すことになり、かえって貧困家庭は抑圧されるようになったという批判論は現代でもつきまといます。これに適応できなかった労働者は怠け者なのでしょうか?しかしブレアの路線は本人がどう思っているかは別として包摂どころかかえって落ちこぼれを生んでしまう危険性がありました。「努力すれば報われる」当時さかんに言われたスローガンらしいです。その後、労働党が政権を失った後典型的な新自由主義者である保守党のデービット・キャメロンがブレアのワークフェアを利用し、さらに格差社会を助長するものに変換させました。党の政策を中道に寄せるという事はこういう事例を度々招きます。さらにブレアの改革は「機会の均等」に重きをおいた政策に労働党の路線を変えました。これによりブレア政権は教育行政に力を入れた政権でしたが、これも多くの批判論があるものです。インドの経済学者であるアマルティア・センが指摘した通り本人に潜在能力があっても疾病や貧困など数々のマイナス要因のおかげで十分な力を発揮できず、チャンスを逃し続けたとしたら、その責任は本人にあるのか?というものです。我々は機会を与えたという主張は、その機会を逃したものは切り捨てると言っていると同義ではないか?と指摘しています。
 ブレア政権は完全雇用を目指すものではなく「十分な雇用可能性」という文言に置き換えられました。これはEUに加盟したイギリスにおいて労働力のグローバル化は避けられず、労働者より財界に重きをおいた改革でした。後にブレアの公認になったゴードン・ブラウンは「イギリス労働党は大企業に親しい政党だ」と自己弁護しています。
 これらの政策は福祉国家論でもサッチャリズムでもない「第三の道」とブレア政権は発表しましたが、貴方はどう思われますか?そう、これは修正版サッチャリズムであり、社会民主主義の保守化と言っても差し支えのない政策でした。当然財源は必要なので仕方がない部分もありますが、サッチャー時代には無料だった大学教育を有料化にし、NHSという国家医療制度をあっさり民営化、彼は自分のことを中道政治と評していましたが、これが危うい点です。自らを「中道」と言い張れば、どんなネオリベラル路線も許されるという節がある。ブレアは環境問題にも熱心で、北アイルランド紛争を終わらせた平和主義な一面もありますが、こうした事実上の新自由主義政策はもっと非難を浴びていいはずです。
 アメリカではビル・クリントン政権が1993年に誕生。彼もワークフェア路線を推し進め、財政黒字を目指し伝統的なニューディール路線を捨て小さな政府を目指しました。当時IT事業やハイテク事業者と関係を深めて、のちにその経歴から妻であるヒラリーがウォール街と近い政治家と批判されましたが、夫であるビルはそれについてむしろ誇っていました。レーガン以上の規制緩和と減税を行い、レーガノミクス後継者のような扱いを受けた上でマスコミからは「民主党共和党の経済的政策の差異は無くなった」と言われるほどです。
 ブレア、クリントン以上に新自由主義色が強くなったのは1998年のドイツのゲアハルト・シュレーダー政権です。彼の統治で有名なのはいわゆる「ハルツ改革」です。社会民主党政権が元フォルクスワーゲン労務担当役員ペーター・ハルツに全面的に一任した労働市場改革です。派遣労働者規制緩和、解雇規制の緩和、行政組織再編、失業保険と生活保護の融合とその短縮などEU加盟国におけるグローバル競争に勝ち抜くためにありとあらゆる労政改革を行いました。当然労働組合は反発し、十万人をゆうに超える党員が離党。それらは左翼党を形成していくのですが、一連の改革を主導したハルツはフォルクスワーゲン社時代の汚職と贈賄の罪に問われ、有罪が確定しています。こうした一連のシュレーダー政権の政策は公約として「アジェンダ2010」にまとめ上げられ、当時野党だったアンゲラ・メルケルはこの政策を高く評価し、CDU/CSU政権が誕生した時、そっくりそのまま代用しています。

 

第三の道」を肯定した?ハンブルク綱領。
 シュレーダー社民党政権は2005年に終結しますが、ドイツ社会民主党は次にベルリン綱領の見直しに着手します。冷戦崩壊の結果、社民党は政権を緑の党との連立によって獲得しましたが、学生運動世代の高齢化から、次の指導者が見当たらないという時代を迎えます。そうした意味において再び社民党の政権を樹立するためには、冷戦直後の綱領を修正しなければいけませんでした。「第三の道」は社会主義勢力を単純に新自由主義の補完に過ぎなかったです。こうした行いは多くの党員を社民党から離れていく要因となりました。次に採択されるべき綱領はグローバル資本主義に向けて、社民党の在り方を問うものではいけない。
 結論から言えば2007年に採択された「ハンブルク綱領」は党の路線変更を望む若手党員といまだシュレーダー政権の要職を務めていた勢力が大半の党執行部の妥協案というものでした。シュレーダーが主導した「中道左派路線」の肯定、ただ多くの左派党員が離党したドイツ社民党はこうした亀裂を修復する上でグローバル化の負の部分に焦点を当てたものでしたが、結果として考えればシュレーダーの路線が保守に奪われ、その負の部分に目を背けながら「バート・ゴーデスベルク綱領」「ベルリン綱領」と違い、この「ハンブルク綱領」は未来に向けたものと言うより、過去を肯定するものとして受け止められました。極右やポピュリズムの台頭を招いたのはエスタブリッシュメント保守も「第三の道」肯定である中道左派も共犯であり、同罪です。
 「ハンブルク綱領」採択後、フリードリヒ・エーベルト財団主催でドイツ社民党アメリカ民主党、日本の民主党がシンポジウムを開きましたが、こうしたイデオロギーの喪失とも思える「第三の道」肯定論はドイツ社民党アメリカ民主党の関係者は「プログレッシブ」な政治運動に立脚するという主張しかありませんでした。一部の中道派が批判する「ウォーク左派」という批判は、もはや経済政策の路線を保守に近づけてしまった中道派がせめてもの違いを出すための言い訳のようLGBTQや多様性社会を訴えているようにしか見えず、そうした言い訳を同じ中道派が批判する構図に見えてしまいます。ダシにされる性的少数者やマイノリティが不憫に思います。単純に彼ら彼女らを看板にして、自分達の過ちを糊塗しているのだから。一つ言える事はすでに「中道左派」や「中道派」はとてつもない失敗を犯した。極右に対抗するために「穏健な保守派との提携も」という中道派の言説は腹が立ちます。誰がここまで追い込んだのか?一才の反省がない。再び一時しのぎだけで、問題を解決しようとしている。もはや「第三の道」という路線は失敗しました。そうした総括ができない中道派は極右との闘争に足枷になります。彼らは、稲田朋美が穏健化したなどという言葉が平気で出るのだから。

 

日本民主党は何を目指すのか?
 前述したシンポジウムには藤末健三という民主党参院議員がパネリストでした。のちに自民党へ入党し、落選して現在は何をやっているのか分かりませんが、彼はこのシンポジウムで「一点争点型の選挙が今後も続くだろう」という発言をしたとされます。その後政権交代がなされて、3代民主党の首相が誕生しましたがいずれも信条がバラバラの人で果たして民主党という政党は何を目指す政党なのか今持ってもよくわからないです。この中で菅直人はかつて「第三の道」を提唱し、オリーブの木連合などに興味を示したいわゆる「リベラル派」「中道左派」の政治家でしたが、蓮舫など事業仕分けで名を上げた新自由主義者を重宝し、公務員採用を大幅に削減、法人税の引き下げにも応じました。未曾有の大震災という悲劇に見舞われたのは、同情する点ですが、江田三郎と初めて会った時「いつまでも社会主義という言葉を使っていてはダメだ」というほど彼にはイデオロギーはそう濃いものでもなく、その後継者が昨年の選挙で敗北したのは後継者が途中で市長を投げ出すという不義理と同様、菅直人は結局その「第三の道」路線も不発で、そうした彼の集大成を有権者が否を選んだからでした。元々菅直人希望の党政局の時は、小池百合子に親和的な態度でした。枝野幸男長妻昭、逢坂誠ニの方がよほどそういう点では闘争心が出ていました。彼らもまたネオリベラルな人達ですが、この期に及んでまだ菅直人という名前にブランドがあったと本人が思い込んでいるならそれは大きな悲劇でした。彼の政治生命は本来なら女性スキャンダルで終わっていたのに今の今まで生き残ったはひとえに民主党の人材不足でしょう。菅直人もまたブレア、クリントンシュレーダー世代の政治家です。菅直人ができる事はただ一つ。ひたすら後進の育成だけに徹するべき。彼が語る言葉はもう何もかも信用されないのだから。
 民主党政権はやはり問題ある政権でした。何度か代表選がありましたが、路線の変更による政策論争は低調で、ひたすら小沢一郎に親和的か敵対的かという極めてレベルの低い論争で一国の宰相を決めていたのだから、そうした反省点はあってもいいはずです。立憲民主党になって、それは少しだけ改善されたでしょう。と言っても、誰になったとしても再分配政策は後回しにされ、来た球を打つ民主党時代からの悪癖を引き継ぐでしょうが。
 ブラジルではルイス・ルーラが踏ん張っています。彼は菅直人世代。すでに80近い年齢ですが、極右政権を倒し再び政権を奪取しました。部族政治の影響力が強いナイジェリアではナイジェリア労働党という階級に根差した政党が実業家であるピーター・オビを擁立し、労働組合がそれを支援。健闘しました。得票はまだ部族の影響力が強いものですが、汚職も多いグローバルサウスの社会主義勢力は少しずつ漸進しています。
 左翼労働組合主義の立場から現在の中道左派路線を批判します。極右やリバタリアン、加速主義の打倒には保守とは違う社会像が明確な政策が必要です。目を向けるべき視点は企業なのか?人なのか?「リベラル」は常に問われています。

 

万国の「リベラル派」に問われているもの
 労働者の党であった万国の社会主義政党が90年代に一気に新自由主義という混ぜ物を入れ始め、福祉国家路線はもはや過去の産物になっています。中道化というものは結果としてネオリベラル路線となるとほぼ同義に使われています。社会主義という言葉は単なる悪口のように言われますが、社会主義とはそもそも財産をできるだけ社会の所有物にしていこうという考え方であり、ソ連のようにコルホーズを設置する、国営企業のみが存在するわけではのです。交通の便が悪い地域にも医療機関を皆のお金を出し合って設置する。これも立派な社会主義です。効率性を追い求めるならそれこそソ連のように過疎地から人を追い出し、都市部に移住させればいいのです。その効率性は本当に正しいのですか?本来税金の使い道は適正かどうかを問われるのです。
 80年代から2000年代まで、効率性ばかりを追い求めすぎて本来社会で共有されるものも強欲な資本に受け渡してしまった。強欲な資本が全て効率が良く正しいのならエンロンのような企業は生み出していないです。私はバーニー・サンダースを便宜上「急進左翼」と定義していますが、彼の政治的な立場は「黄金の30年」においては完全に右派の立場でしょう。西尾末広江田三郎日本社会党の右派として位置づけられるし、江田は元々労農派の社会党左派でしたが、現在江田三郎が代議士なら彼は「急進左翼」になります。右傾化したのではなく、世界が新自由主義が真ん中だと思いすぎて少しの逸脱が共産主義になった。逆説的に言えばトランプや西欧極右も「黄金の30年」においては単なる右派でしょう。彼らの主義主張は太平洋戦争以前の国粋主義者にとってみれば、敗北主義そのものなのだから。だからと言って国粋主義者もトランピアンも私は擁護しないです。私は自分のことを左翼労働組合主義者だと思っていますよ。人によっては私も右翼労組の一員でしょうが。見方によってどうだって変わるのが他人の評価です。その中でやはりリベラル派というものは私は左翼でも左派でも中道左派でもないです。悪く言えばリバタリアンの分派のように思えます。有名人が少し自分と親和的な発言があれば「知性ある」と褒め称える。須藤元気をそう褒め称えた自称リベラル派は多かったですよ。すぐに手のひらを返す羽目になりましたが。リベラルという思想は私は中途半端なものだと思います。単純に穏健派なら皆リベラルになる。結論として言えばリベラル派というものは私は信用していないです。保守派が帰化一世は国会議員に立候補していけないと言い放つ。つい最近まで親日と称えていたのに、まるで民主集中制のごとく猛批判です。リベラル派においてそういう気質がある。私はそういうものを自己民主集中制と呼びます。彼らにとって少しでも異論を挟めばリベラル失格になる。そもそも実態がリバタリアンなのだから、他人の自由は許せないのでしょうね。リベラル派に問われているのは、結局長いものに巻かれるその精神性ですよ。私達は一人一人色んな考えがあるのです。同志かどうかみなすかは貴方の自由ですが、結果としてすぐに自分の意見を引っ込めて権威に巻かれてしまうのなら、リベラルではなくリバタリアンです。自由は重要ですが、人間の尊厳を無視してまで必ずしも推し進めるものではない。貴方の自由が他人の抑圧になるのなら、それは立派なファシズムです。中道的な穏健派は左右問わず民主主義を守るために団結せよと言う人もいますが、その中道とやらに誰が入っていますか?我が思う中道に誰が加入がOKで誰が駄目なのか?その基準を決めるのは結果として、権威ある人が勝手に色分けするのなら私はその穏健派中道連合に入る気はないです。そのご意見は道は1本しかないと言い切っているのに等しいです。「道の真ん中を歩けば車にひかれる」この言葉を今程かみしめることはないです。リベラル派に必要なのはしっかりと闘争に逃げないことですよ。そういうことに逃げて有名人やら芸能人やらに流されて生きてきたリベラル派の今までツケが、今支払うときが来ているのです。Aと言われるとAと言い切り、もっと権威がある人がBと言えばBとさっさと宗旨替えをする。そうしたリベラル派のなんとか自分達の権威を保とうする、多数派であることを誇示する閉鎖性が問われる日がきたのです。問われているのだから、それに反対勢力となる覚悟が必要で安易に妥協する姿勢は今後もまたツケがかさむだけでしょう。自分達の不始末で自分がツケを支払い続けるならまだしも、それは未来の子供も支払う事になりかねない。

 

万国の社会主義者よ 再び団結せよ!
 少し時間ができた時、私は山本太郎新撰組のボランティアに参加しました。これは興味本位です。参政党にも日本会議のイベントにも参加した事があるので、彼らが何を主張したいのか聞いてみたいと思いました。結果として皆、何かをきっかけに政治運動に参加した人が多くそれは私と同じであり、私と違う部分を問われると何かあれば皆が口を揃えて山本太郎さんがこう言っていたというフレーズが多く、これは民主的な組織ではなく個人の名前で統制を行う団体だと思いました。新撰組において近藤勇の名前は必ずしも重要ではなく、本家は焼け太りや分裂を繰り返しましたが歴史に名を残しました。封建体制を守護する白色集団だったという評価が妥当でありますが、彼らがその名を残したのはやはり筋は曲げなかったというのも一定の理由でしょうね。それがどれだけ愚忠と言われても、最後はその信念に殉じた姿勢はもう少し褒められてもいいと思いますよ。なにぶん言葉が信念が軽くなった現代において滅びゆく運命だったとしても、幕引きは自分でケジメをつけました。自分の仕事は自分でつける。基本だと思います。歴史的な評価はこのぐらいにしましょう。封建時代最後の実力組織のイデオロギーを語っても現代では精々道徳心ぐらいしか学べないでしょう。現代に新撰組と名付ける政党が出てきてしまったのが喜劇にもならないです。

https://note.com/laborkounion/n/n2c776a859b93

 南米チリでは合法的な選挙によるアジェンデ政権がクーデターによって非合法に倒されピノチェト軍事政権が続きました。ピノチェト統治下はその独裁的な手法だけではなくミルトン・フリードマンのシカゴボーイズによる実験が行われ、この国において大勢の人間が生きながら地獄に落とされたとも言えるでしょう。「これは天の声である」と言い放った日本の社会主義者もいました。この声明は間違いだったと後の人は釈明せざる得なかったです。「天の声」と言い放った人はさっさと社会主義者であることを捨て、保守派になり、そうしたブレが有権者に見透かされ菅直人と大差ない結末を迎えました。過去の自分が、現代の自分の最大の敵になる。これは私もいずれ過去の自分に批判されるでしょう。少なくとも仕事に関してはブレたくないものです。
 チリのガブリエル・ボリッチ大統領はこの国で久方ぶりに成立した社会主義政権です。チリの人々、女性たち、少女たち、少年たち、そして男性たち。私たちの約束は、あなたたちとのものです。あなたたちこそ、本日始まったこの旅路の主人公です。私たちは歩み続けましょう。常に続けていきましょう。チリ万歳。ボリッチ大統領が当選した後にTwitterで発信した言葉です。なかなか値打ちのある言葉だと思います。トマ・ピケティは「参加型社会主義」を唱えましたが、まず参加することは第一です。参加もしない人間がプロパガンダしか流さず、それに責任すら感じていない。キーボード愛国者。というのも彼らを過大評価です。彼らは愛国者でもなく自分の自意識だけが肥大化したのだから、そういう人をあえて区分けするのならナルシストです。液晶画面を見つめながら、自己愛を振りまいている。その結末は決して豊かなものではないのだからその反対勢力として私は存在し続けたいです。
 日本で社会主義者がほぼ代議士や国会議員レベルでは消滅した。由々しき事態です。旧社会党グループが日本にもありましたが彼らは別にリベラルだっただけで、社会主義者はいない。だから日本もまず社会主義者を当選させましょう。バーニー・サンダースアメリカの方が社会主義に否定的だったのに今やアメリカ以上に反社会主義者ばかりの国になってしまった。社会民主主義を語ろうとしない社会民主党、リベラルというだけで全く社会主義者として機能を果たす気がない立憲民主党。転向した国民民主党。だから私は日本社会党は再興されるべきだと思います。日本社会党においては社会主義インターから距離をとりましたが、しっかり国際連帯から逃げないでほしいです。国際連帯は国際協調に繋がり、それが平和の第一歩です。
 さて随分と文書が長くなってしまいました。社会主義運動はもっと原点にかえるべきだと思います。そうした原点を見失い、単純に多数派を維持しようがせんための穏健派合同論なんて全ての有権者に見透かされて野合に移るだけです。権威ある人はその権威に借りて自説を押し通そうとしますが、単純にその議論を信じ込んではいけない。次社会主義者の綱領を作るなら私は「大臣であろうと総理であろうと他人の意見は話半分でいい、自分の信条は自分で決める」の一文を入れるでしょう。これはハンブルク綱領ではなくある意味「レバ子綱領」ですね。




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