1863年に前身が結成され、その名称の由来は会津藩の一部隊から採用された新撰組は函館の五稜郭戦争において薩摩長州新政府軍に敗北し消滅。その名前は現代では幕末の創作物ではほぼ必ずと言っていいほど登場しています。実は人斬り自体はあまり行っていなかった。局長である近藤勇は、食い詰めて浪士組に参加したわけではなく武州日野で、それなりに格式があった道場主だったなど新説が飛び出しています。ついに現代にも登場した政党「新撰組」に対して、あくまで個人的な探究心で誰でも飛び込み参加OKのイベントに参加しています。愛知県の「新撰組」は、名古屋から三河にその屯所を移しつつあり目にする機会が増えました。愛知県の旧日本社会党関係者は労働組合出身者や右派が多く、地方組織が解体するにつれて一部の勢力は市民団体となり「トヨタスタジアム反対運動」と言った反ハコモノ運動の主軸となっていましたが「新撰組」進出後は一変、そうした運動は一部保守系を巻きこみ収斂し、新入隊と言わずとも同盟関係にいます。「右とも左とも言い切れない反動的で急進的な」という言葉で表す事ができるような一度二度聞いたぐらいでは分からないです。そもそも集会では、感情に訴えるような発言が多く演劇を見ているような錯覚も受けました。
「新撰組」の主張は現在、基本的に現代貨幣理論に支えられた「積極財政」派ですが、彼らの主張と私や他の方が感じた異論を少し書き連ねていきたいと思います。
I 現代貨幣理論の問題点ーインフレの判断
「政府債務残高の大きさを見て財政破綻を懸念する議論は、政府の債務を、家計や企業の債務のようにみなす初歩的な誤解にもとづいている。政府は、家計や企業と違って、自国通貨を発行して債務を返済できるのだ。したがって、政府は、財源の制約なく、いくらでも支出できる」。
「ただし、政府が支出を野放図に拡大すると、いずれ需要過剰(供給不足)となって、インフレが止まらなくなってしまう。このため、政府は、インフレが行きすぎないように、財政支出を抑制しなければならない。言い換えれば、高インフレでない限り、財政支出はいくらでも拡大できるということだ。つまり、政府の財政支出の制約となるのは、インフレ率なのである」。(スティーブン・ヘイル)
基本的に現代貨幣理論は分かりやすく噛み砕けば、こうした説明です。まず主張の前半部分は概ね正しいでしょう。自国通貨を発行している国が財源の制約なく支出できるのはすでにアベノミクスで実証済みであり、コロナ禍の積極的な財政支出は誰もが感じたはずです。元々もう忘れかけていると思いますが、アベノミクスはデフレ脱却のために金融緩和による低インフレを目指すのが基本政策でした。もちろん経済成長をする事で、こうした赤字財政を税収増で回収できるというものです。この経済成長理論が正しいかどうかはとりあえず置いておきます。問題は後編。インフレ率さえ気をつければ、いくらでも政府支出が可能という事です。これは若干曖昧な表現です。例えば日本の現在のインフレ率は今年1月は4%という水準ですが、これは前年度よりも3.1%の上昇で1982年ぶりです。日銀の目標は2%だったので完全にそれを上回っていますが、果たして誰が実はこれはインフレであると判断するのでしょうか?コストプッシュインフレなので減税すればコストダウンに繋がるという理論は一見正しいように見えて、これはインフレを急上昇させる理論です。供給側が理由のコスト高なら供給側に値を下げてもらうよう価格転嫁が必要で自公政権は基本的に補助金というの抑制策ですが、これを減税で需要側の消費を喚起してしまえば需要増から物不足は加速化し供給側も価格にさらなる利益を反映させやすくなります。現状分かりやすい例がコメであり、南海トラフに関しての報道もあり需要増からコメの価格は上がりました。基本的に今後もコメの値段は若干安くなる程度で外国米を食べるというケースも増えると思います。品質のいい日本米は海外に輸出されるのは、許容されるべきで事実コメ農家の後継者不足が叫ばれているので、一定の人件費高騰があるのは消費者も覚悟せねばならないです。「新撰組」は基本的に農政についての主張は「農家と市民が一体化して耕作放棄地は皆で分担して耕そう。」というローカル自給圏構想を打ち出していますが、この判断についての是非はまた別日にします。現在一部の「新撰組」は、現在は不況であるというように、何を持って不況と成すのか非常に曖昧です。完全雇用が一応は成され、なおかつ人手不足の問題も囁かれている、その理由は人件費の高騰でありそれに乗じて物価も高くなるという事実を持ってしても不況であるという判断をするのは政治家なのか日銀なのかはたまた官僚なのか?その判断については議会が政治責任を取るという形でない限り私はこうした時に冷静な決断ができないと思います。
II現代貨幣理論の問題点ー経済成長ありきの主張
「日本は有益な実例を提供しています。(GDP)比の公的債務は米国の3倍もあるのに、超インフレや金利高騰といった危機は起きていません」。「日本はもっと財政支出が必要です。そうして生まれる需要こそ、成長のエンジンなのです」(ステファニー・ケルトン)
現代貨幣理論は体系化されたのは直近の事であり、リーマンショック以降急速に研究が進み、独自と言ってもいい結末にたどり着きました。リーマンショックで経営不振を理由でアメリカでは多くの失業者が出ました。日本でも多くの報道があったので覚えていらっしゃる方も多いですが、そうした事例を見てマネーゲームを楽しんでいた人は一部勝ち逃げできた事もあり新自由主義の怒りは頂点に達しました。 「世界金融危機(リーマン・ショック)は、マクロ経済学の支配的パラダイムが推進してきた労働市場と金融の規制緩和の帰結といえる」と初期現代貨幣理論の経済学者であるビル・ミッチェルが主張していますが、これはその通りです。だからそもそも完全雇用を求めて、支出を制約する事はしないという理論の構築のために発展したものです。政府は完全雇用を維持するために財政支出を躊躇ってはいけない。この主張も正しいと思います。緊縮財政は経済成長を妨げるという主張もします。この事については裏を返してみれば財政支出を行えば必ず経済成長を達成する、しなくてはならないという事を主張していると同義です。この点は新撰組も「GDPの6割を占める個人消費を活性化させることが、景気を回復させ、経済成長を促します。」としているように、強調しています。「新撰組」の隊士たちは日本は現在経済成長が止まっており、停滞している。給料が上がらない。だから経済成長は必要で、そのための減税なのだ。という主張が多く、主眼は減税よりも経済成長に置いている事は明らかでした。この点はアベノミクスと同様の主張です。アベノミクスの最大の失敗だったのは、雇用を増やしたが女性や高齢者に頼った非正規雇用で賃金全体の伸びは抑制され、個人消費がイマイチ伸びずさりとて落ち込む事はなく低成長を維持し続けた事です。実感なき経済回復。さらにコロナ禍における巨額の財政出動は企業に内部留保を溜め込む要因となり、この事例はアメリカでも同様です。財政支出が内部留保の積立にしかならず、本来支出分労働者の賃金という形で還元できればアベノミクスはもう少し評価されたでしょう。しかしその算段もトリクルダウン理論でしかモノが見られなくなったのは残念な事でした。そうした事例についてヒラ隊士はともかく、長谷川羽衣子経済助勤あたりは気がついているはずですがそれを認めてしまえば大幅な路線変更です。選挙のために私達は彼らの池田屋を今後数回は見る事になるでしょう。
Ⅲ現代貨幣理論の問題点ー税についての考え方
「政府は支出のために国民に税を課す必要もない。税金はインフレを制限するためにある」。「もし一切の課税を廃止すると、需要超過になってインフレが昂進してしまうであろう。そこで高インフレを抑制するために、課税が必要になる」(スティーブン・ヘイル)。「税の存在が総需要を抑制する」、「もし税を廃止すれば……総需要を増出させインフレを引き起こす」(ランダル・レイ)
初期の現代貨幣理論についても税の考え方が独特で他の経済学と違う部分はこの税のイデオロギーの部分です。真面目に社会科の授業を受けていた人は中学で習う内容ですが、「政府」「企業」「家計」には役割があって、「家計」が「政府」に税を負担する代わりに私達は公共サービスを受けられる関係で、「企業」が「政府」に税を負担すれば公共サービスと公共事業の受注、補助金などが掲載されているはずです。うちは製造業だから何ら一つ政府に頼っていないと言い切った人が昔いましたが、工場一つ建てるのも国の基準を満たさないといけないし納める税額は鰻登りですが、そうした事例だと基本的に税制優遇措置どころか補助金までオマケについてくる事もあります。こうした役割は義務教育の段階で学習する事ですが、現代貨幣理論ではあくまで税制はインフレを抑える道具です。こうした言葉から発展して「新撰組」の減税路線になっているのなら、日本に輸入され独特の進化を遂げました。ベーシックインカム論が現代貨幣理論とミックスされた。これは特に最初は現代貨幣理論の論者ではなかったヤニス・バルファキスらもそうですが、都合よく給付と公債発行が同義になり、おかしな理論をそのまま日本でも応用したのは朴勝俊ら複数の人間が主体ですが、新撰組法度に書かれてしまい、一度言ってしまった事は転向できないのでしょう。それがこの組織の寿命を縮める事になると思います。(https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784909515087 こうした本も売られています)
教科書通りに考えていけば、税金の負担が増えるとそれだけ公共サービスの質が向上されるという事で少子高齢化が進む社会において必ず今後税負担について逃げられない直視をする瞬間は訪れるのですが、現代の政治家はイマイチ腹の据え方が足りず日本共産党ですら経済成長理論にとらわれている有様です。明日は仕事に行きますが、明日更新する予定のnoteにこうした現代貨幣理論についての現在地について補足と説明を加筆しました。そしていずれ「新撰組」が五稜郭を迎え退陣する時に、noteで総括したいと思います。彼らの運動は労働組合のものと自民党の業界団体動員とはかなり異色なものです。おって途中経過を更新しながら、その終焉までいわばネット発の浪士組の行く末を見ていきたいです。インターネットが家庭に普及しもう30年。そろそろ最初期に触っていた人は還暦に近づいているはずです。SNSというよりTikTokのような短い動画や配信自体はニューメディアと言えるものですが、インターネット自体はすでにオールドメディアに片足を突っ込んでいる状態。個人的にそう感じます。インターネット経由でやってきた政治運動員が40を超えた私より少なくとも一回り以上は年上ばかり。若さ溢れる団体は基本的に少数どころかほぼゼロに近いでしょう。若い支持層の団体も基本的にその運動員は中年、高齢者に支えられている。このあたりを冷静に判断しないと総括自体が曖昧になるのやもしれません。いずれにせよ「新撰組」と名付けたように長期にわたって運営しようと考えられた組織体とは思えないです。また次の顛末記を発信する予定です。