1886年 アメリカ、後にAFLに改組されるFOTLU( アメリカ・カナダ職能労働組合連盟)が8時間労働制実現を求めて決議します。当時の労働組合は熟練工中心で会長のサミュエル•ゴンパースも政治運動と距離を取り、二大政党に競わせる方針だったので政治的な要求は行わず。この年の5月1日、35万人がストライキ。18万人が8時間労働を勝ち取ります
他方で同じ年の5月4日にはシカゴの労働者のストライキ中に警官隊が労働者のデモ隊に発砲。ヘイマーケットでは爆弾が投げ込まれるなど多数の死傷者が出る。アナキスト アルバート•パーソンズは死刑になったが、彼の無罪は立証されています。
1888年 AFL(アメリカ労働総同盟)は8時間労働制を求めて国際連帯の方針を決定します。1889年第二インターナショナルにおいて5月1日は国際連帯の日として可決されました。第二インターナショナルはドイツ社会民主党の主導で国際労働運動と国際社会主義運動の再建を目指した団体。翌年90年には初の国際メーデーが敢行。有名なスローガン「8時間労働、8時間睡眠、8時間は自由に」が誕生します。
当時労働運動も社会主義運動も不毛の地だった日本においてこの国際メーデーは報道されています。ただ日本にはAFLに当たる団体が存在しなかったので、メーデーを行う素地はなかったです。1898年に労働組合期成会がメーデーを計画しますが、当局が中止命令。その翌年、政府は治安維持法を制定し事実上労働組合運動を禁止します。期成会は4月3日に日程をずらし「神武天皇祭」という名目で実施することにします。内容は日本橋から上野まで弁当持参で行進して、上野で運動会を行うというものでした。当局はこれも禁止。さて期成会は、4月10日に「東京遷都80周年」という名目で「行進」と「運動会」を行います。これが日本で初のメーデーだと言われます。期成会衰退後の1901年には片山潜中心に、「日本労働者大懇親会」を開いて2万人の参加。飛んで1905年に平民社主導で行われたのが「茶話会」です。これは事実上演説会でありその大半がメーデーの由来と国際連帯の意義、治安維持法批判でした。
それから1917年東京の社会主義者たちのグループがメーデー記念の集いを開催します。かなり年代が飛びましたが、その空白期間は社会主義冬の時代という期間であり、ありとあらゆる運動は当局の取り締まりにあいました。しかし大正デモクラシーの時代になると社会主義運動や労働運動は日本でも復興、急成長を遂げ1920年日本でも第一回メーデーとして上野公園で挙行されました。ただその日は5月2日でした。1922年には軍歌「歩兵の本領」の作詞を変え、当時池貝鉄工所の労働組合員が作詞した「メーデー歌」がこの頃に歌われるようになります。もっとも最近では、地協レベルのメーデーでは時たま流れている事がありますが県連合、中央メーデーでは耳にする事はないです。メーデー歌参考 https://www.youtube.com/watch?v=F0d8G35La-I
こうしたメーデーの歴史は、日本でもヘイマーケット事件のように血が流れる事もありました。1930年川崎市で行われたメーデーでは参加を禁止された一部組合員が竹槍を持って武装化し、警官隊を殺傷する事件が起きました。これを主導したのは全協という日本共産党系の労働組合で、当時執行部がベテランが離れ田中清玄ら若い指導部が武装闘争路線を推し進めていた最中でした。この時代を「武装共産党」と言われます。ちなみに田中は政界のフィクサーともCIAのスパイとも呼ばれます。随分と転向も軽い時代です。ただこの武装メーデーは特高警察が共産党幹部を炙り出すために、スパイを送り込み武装闘争を煽った事実があります。
戦時体制が強化されるたびにメーデーは徐々にその規模が小さくなり、特に33年には運動が左派と右派に分かれてメーデーを敢行されます。そして36年を最後にメーデーは敗戦まで一切行われませんでした。
戦後1946年「働くだけ食わせろ」がスローガンに、10年越しのメーデーが挙行されます。この時「インターナショナル」が合法的に歌われたのも着目点です。その後の5月19日飯米獲得人民大会いわゆる食糧メーデーが行われたのもこの時代です。教科書などで 「ヒロヒト 詔書 曰ク 國体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた人を見た事がある方もいらっしゃいますでしょうか?このプラカードを掲げた人は逮捕され、実は2度目の玉音放送がこの食糧メーデーの後行われました。その言葉を簡単に要約すれば日本は家族主義のいい国なので米が無くても生きていけるというような内容でしたが、いかがでしょうか?
戦後ナショナルセンターのイデオロギーは違っても統一メーデー方式は維持されましたが、労戦統一以降連合と全労連はお互い別日にメーデーを行うようになり、分裂メーデーは90年以降全ての都道府県でも現在当たり前の風景となりました。