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note投稿用 タイトル「民社党(仮)」

※現在再分配を目指す有志のブログ「鍋パーティーのブログ」に一つ協同労働、労使共同所有について「21世紀の社会主義」をテーマに書いています。投稿日は未定ですが、メーデーもしくはそれを少し過ぎるぐらいの時期を目指して、推敲中です。

 

※それに並行して毎週投稿予定noteでは、次のテーマに日本において西欧社会民主主義を目指し、結党された民主社会党民社党)が何故日本で、与党はおろか野党でも小政党と甘んじたのか、西欧社会民主主義は日本で受け入れられなかったのか?遂行中です。そのnoteの一部をこのブログでタイトル「民社党(案)」の序盤を投稿します。私のnoteのURLを掲載します。ーhttps://note.com/laborkounion

 

民社党(仮)

 自民党の強引さと社会党の頑迷さ、わが党内における強力な統一が取れなかったこと。1960年の安保国会の中でなぜ民社党が埋没したのか、当時の書記長曽祢益はこうした言葉を残しています。ときは岸信介内閣。革命路線ではなく議会主義によって民主社会主義を成し遂げると高らかに宣言し、当時朝日新聞がかなり好意的に報じた日本社会党右派で結成された民主社会党日本社会党内の地方組織で左右の対立があまりに大きくなっていたこと、総評を離脱した全日本労働組合会議略して全労から全面的な支援を見込めた事、そうした背景もあって西尾に同情的な社会党右派の代議士、参院議員を含めて50名以上を超えた事。さらに社会党内閣において、首相を務めて社会主義者でありヒューマニストであり平和主義者だった重鎮、片山哲まで同調した事。「真の社会主義を達成できるのは、日本社会党ではなく民主社会党である」と主張する事は別に誇張ではなかったです。社会党左派の最大の問題点は、「議会制度において社会主義革命を達成した場合、ジャーナリズム機構を含めて根本的に変革する」という左社綱領が当然マスコミには警戒されました。はっきりと検閲すると宣言していると思われても仕方ないでしょう。こうしたイデオロギーは「日本における社会主義への道」いわゆる「道綱領」にも色濃く表れてしまい、結果として社会党の「頑迷さ」ばかりがそれこそ日本における社会主義への道を閉ざしました。
 さて便宜上、民主社会党を離党した右派グループを「西尾派」「河上派」と分けていますが、特に社会党内派閥「社会党再建同志会」を西尾末廣グループとしてこのnoteでは活用しますが、このグループに集まったのは西尾のリーダーシップに惹かれてというよりも西尾と同調して離党したという「同格」意識が強く、真の西尾末廣直系は片山哲内閣で西尾官房長官の下で官房次長だった曽祢益、西尾が兼任した国務大臣で秘書官を務めた池田禎治、ぐらいでした。西尾の戦前からの同志であり、映えある無産政党代議士の8人の中の1人である水谷長三郎も安保国会においては議員団長であり、当時としては反西尾と言っても差し支えのないほどの院内幹部の1人でした。実を言えば結党時に西尾よりも片山哲を委員長に担ぐという構想が河上派離党組から出て、西尾執行部はその声に配慮をした人事であり、西尾の徹底的な議会主義がかえって民社党の取れる選択肢を狭めてしまったという事が彼の最大の不幸でした。安保法案を通す前に解散して民意を問うべきというのが民主社会党の基本戦略であり、与党と議論を尽くしつつ、岸内閣が推し進める安保法案は反対なので社会党と一定の連携をしつつ法案が通る前に解散総選挙に持ち込む。そこで民意を問う。議会主義としてこれが理想だったのは間違いないです。ですが、そうならなかった。
 さて日本の保守与党、自由民主党は元々は違う政党が保守合同の名の下に集まった寄り合い世帯であり、岸内閣の強引な強行採決を野党代議士ばりに批判していた人も多かったですが採決の際はしっかりと党に従う。ただ有権者の目には同じ保守与党の間でも岸に批判的な人がいたという事実は残ります。これも民主社会党の存在感を希薄にしました。

 三木武夫の国民民主党https://note.com/laborkounion/n/n9d25e89b1a23

 金権的でありながらもケインジアンで実際に「福祉元年」を内閣で遂行した田中角栄、協同組合主義という社会民主主義と極めて近い政治路線で「議会の子」と呼ばれた三木武夫など有権者には「岸の強引さ」とは違う、と見えていました。そして実際三木武夫などは安保法案の採決の時は欠席しています。議会制と普通選挙のなかで、そうしたテクニカルな手法で政権を維持した自由民主党55年体制を引きずっているとも言えるし、マスコミへの見せ方やその野党翻弄国対のなかでアメリカ共和党イギリス保守党よりもはるかに長けているとも言えます。さて、長い前置きはここまで華々しく結党され、むしろマスコミには期待された民主社会党がなぜ西欧社会民主主義を標榜する勢力になり得なかったのか?現代へどういう教訓があるのか?迫ってみましょう。(続く)




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