ブラジル労働者党は1980年に結党された反軍事政権の政党です。支援基盤はブラジル最大のナショナルセンターである「ブラジル中央統一労働組合」です。金属産業労組や公務員労組が主体の労働者団体です。基本的にブラジルの旧来の左翼政党は共産党などイデオロギー的な教条主義、階級闘争としての政党観などが色濃いものでしたが、労働者党はジェンダー平等、人種・民族問題などの視点も重視し創設時には「平等主義的社会」を訴えています。
労働者党の独自の政策として「市民参加型予算」があります。市民の意見を行政に反映させるために、予算編成の際に市民が直接関与するシステムで、これは労働者党が野党の州政府などにも導入が開始されています。行政政策の共同所有化として一種のヒントになる政策です。労働者党には最左派はトロツキストのグループも存在し、市民の警戒もありましたが ルイス・イナシオ・ルーラ政権においては現実的な路線を堅持しています。ルーラは軍事政権下で逮捕された経験もありますが、90年代から大統領候補の1人であり日本のマスコミは当時「ブラジルのクリントン」という呼称もあったらしく、実際日本の民主党も当時イタリア「オリーブの木」路線に傾倒していた菅直人はいわゆる「第3の道サミット」でルーラと対談するチャンスがありましたが、98年参院選で思わぬ大勝から民主党の国際政党外交路線はついぞ訪れず、後に参院議員になったタレントの大橋巨泉議員は「センターレフトの政党として立場を決定せよ」と訴えましたが、鳩山由紀夫執行部に却下されています。
労働者党は様々な新左翼党派の集合体でしたが、ルーラの派閥「連合」が主導権を握ると経済界から副大統領候補に、急進派が敵視していた企業や経済界に支援を要請するため頭を下げるなど党一丸となって政権獲得を目指しました。2002年にルーラは大統領に当選。ルーラは当選の際「 大学の学位がないと何度も非難されてきたこの私が、生まれて初めて免状を手にします。それがわが国の大統領という称号です。」というスピーチは、演説史に残るものでした。
ルーラ政権では経済成長だけではなく、格差是正のために社会扶助政策の支出を前政権の9倍から10倍に増加させました。こうした政策の賜物で平均寿命も伸びています。児童労働の割合も改善。ただ党内の一部から「労働者階級よりも国益を重視し、取り残された労働者がいる」という批判は出ています。ただルーラ政権はある種徹底した現実路線でブラジルを南米の牽引役まで引き上げたのは事実です。汚職事件に巻き込まれ、右翼ボルソナロ政権が一時誕生しましたが、現在再び労働者党が政権を奪還しています。
※近田亮平 「ブラジルのルーラ労働者党政権」など参考にしています。