※西側諸国は植民地政策の名残で、アフリカ、ラテンアメリカの民族運動には冷淡だった歴史を踏まえ、グローバルサウスで生まれた独自の社会主義政策を一つご紹介したいです。
1961年独立後、タンザニアのジュリアス・ニエレレ大統領は国家の「社会主義」化を宣言します。彼らはアフリカ民族文化や経済文化においていわゆる人民民主主義路線を取らず、独自の社会主義建設を志向しました。階級闘争という側面より、ヒューマニズムを特徴とした社会主義です。特にタンザニアの社会主義は「ウジャマー社会主義」と呼ばれ、各国で誕生したアフリカ社会主義のモデルとして機能しました。他民族国家で民族ごとに因縁があるアフリカ諸国において社会主義政策はそうした溝を埋める役割を期待されていました。もちろん一部のアフリカ諸国では、ソ連の援助を得てマルクス・レーニン主義をそっくりそのまま導入したところもありましたが、多くの国では独自の社会主義建設を目指しました。タンザニアにも工業化よりも農業発展、集団化よりも再分配を重視した社会主義政策でした。
ニエレレの社会主義は演説内容を見て理解できるように、「社会主義とは精神のあり方」と話しアフリカの諺である「客が来たら2日間は客としてもてなせ。ただ彼に3日目には鋤を持たせよう」と発言しています。アフリカの伝統に沿った全市民に根づいた思想が社会主義思想でその考えは、階級理論ではなく西側諸国の福祉国家論に近い部分もありましたが、より近いのは毛沢東思想でタンザニアは中国の支援を受けていたのも事実です。ですが、ニエレレの社会主義思想は体系化されたものより、その姿勢の方が重視されていたと思います。
さてニエレレ与党であったタンガニーカ・アフリカ国民連合(TANU)では、67年に綱領が決定され政策も発表されます。一部抜粋しますが「人間の平等」「労働への正当の報酬」「資源の共有」など社会主義的な政策も並びますが、基本的にはヒューマニズムをもとにした綱領です。ただ一部の基幹産業は国有化され、社会主義イデオロギー色も色濃く残した部分もありました。ただやはり本音としてタンザニア自体には資金が乏しく、外国に依存する事はできないが開発のための投資資金は乏しい現実を見つめています。TANUは労働者と農民の政党で、私企業の経営者を拒んでいましたが全く理想的なものを訴えるにはどうしても現実的な落とし所も必要でやはり協同組合による社会主義政策を見据えていたのでは?という指摘も当たると思います。
一つアフリカがなぜ発展から取り残されたのかを問えば、独立の原動力となった政治勢力が汚職や腐敗が進行し、経済上のリスクになっていたという理由もあります。当然経済成長も毎回うまく行くわけではなく、西側諸国が冷淡だった事からその援助をソ連や東側に求めたのは理由としてはある意味当然でしょう。
さらにアフリカ南部では、白人政権かつ反共政権が続いておりローデシアや南アフリカなどは西側諸国でしたが、その人種隔離政策と軍事力の強大さからアフリカ社会主義政権にとっては潜在的な敵国でした。この辺りから、タンザニア指導者は中国への傾斜を強めますが、政治的には独立していました。毛沢東思想と似ている部分もあるウジャマー社会主義ですが、当然これはタンザニア独自の社会主義です。現在ではこうしたアフリカ社会主義の価値観も随分と変わりました。今後も世界各国の社会主義を学び直し、日本が目指すべき21世紀の社会主義を模索し実行できる運動が必要です。