※民主党(1998年ー2016年)は日本新党(新自由主義)新党さきがけ(保守リベラリズム)新進党勢力(新保守主義穏健派)民社党(日本社会党右派、西尾末広ら社会民衆党の流れを汲む)自由党(新保守主義、新自由主義)日本社会党(日本社会党右派から一部左派も合流)と言った小政党の集合体で、明確な理念を持つ事が極めて困難な政党でした。ただ基本的に温度差あれど、旧日本新党組はレーガノミクス、小泉改革よりもドラスティックな改革路線を主張し、旧日本社会党グループ、社民連出身の菅直人らのグループはブレア、クリントン「第三の道」、「オリーブの木連合」などを模索していました。
1、2007年10月12日 憲政記念会館「 9条改憲反対 故浅沼稲次郎委員長追悼集会」
呼びかけ人 土井たか子、村山富市、伊藤茂、江田五月、久保田真苗、清水澄子、藤田高敏、槇枝元文、矢田部理、山口鶴男、横路孝弘
元日本社会党員が400人ほどが参加。
この集会では、主に護憲派としての意見表明で、横路孝弘、土井たか子が憲法に関して発言をしています。
土井たか子 「民主党の参院選勝利で9条改憲が遠のいたように報道されているが、敵をなめるべきではない。2年後の国民投票に向けて、準備が着々と進められていると考えるべきである。47年前のこの日、演説中の浅沼委員長は右翼の少年に刺殺されたが、その演説の結びが9条改憲阻止だった」
横路孝弘 「 憲法問題で9条が重要であることは事実だが、25条の『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』も、今日の格差社会では重要な位置を占めている」
当時は第一次安倍晋三内閣の憲法改憲が論争になっていましたが、横路孝弘と土井たか子の微妙な主張の違いが当時の民主党と社民党との意見の違い、そして安倍内閣退陣によって憲法についての議論は先送りになりました。
2、2007年10月12日 プリンスホテル赤坂 「江田三郎没後30年・生誕100年を記念する集い」
実行委員長 山岸章 司会 岩見隆夫
菅直人、山口二郎、加藤タキ、江田五月などがシンポジウムなどで発言しました。
今日的な社会民主主義との関係で江田ビジョンの持つ先見性(ブレア、クリントンの第3の道は江田ビジョンを政策化したものというアピールあり)そして江田五月参院議長が誕生した直後だったので、党内政局において江田三郎も現在の民主党を築いた源流とする党内外の宣伝もありました。ただ基本的に江田五月参院議長就任祝いの集まり。約1000人が集まったレセプションでは、小沢一郎、河野太郎など保守派の政治家も同日に行われた「浅沼稲次郎追悼集会」から駆けつけた横路孝弘も参加した。
ここまで2人の社会主義者を称える集会が開かれたもののどちらも社会民主主義を訴えるどころか、そうした言葉は一切出ませんでした。旧社会党どころか、社会民主党も肝心の社会民主主義の受難者として浅沼稲次郎を扱っていません。日本の社会主義離れは2007年には社会民主主義を含めて国政において非常に小さすぎるものでした。
第4インターナショナル日本支部再建準備グループ 浅沼稲次郎・江田三郎両氏をかつぎ出す思惑と限界
(インターナショナル第176号:2007年10月号)