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短パンと矛盾のこと

 

 

若い世代の考え方のほうが既存の考え方よりも優れている、とつい思うのは、なにか原因があるのだろうか。自分が若かった頃、上の世代の考え方に反発したかったということが、逆転して”老いては子に従え”のマインドを生むのだろうか。いや、世代が上になることでいろいろな事情や役割を飲み込むがゆえに、率直な感情や思いひとつでの疑問や意見を声にすることができなくなるから、若い世代の発言が”刺さる”のか。「なんて勝手なことを言うんだ!」という憤りは、「その気持ちは自分にもあるけど役割を果たすために言わないでいるんだよ」という大人の自己抑制が踏みにじられるように感じる痛さから生まれるのかもしれない。

というようなことを考えているのは、もうすでに社会的立場は上の世代の側にいてもおかしくないのに、実際の自分の姿は全くそうでないことへのギャップからきている。
自分の中にある矛盾に毎日毎日出会っては、情けないような悲しいような気持ちになる。

年齢なんて気にしなくていいじゃないと思う。若くても歳を取っていても、たとえば短パンを履きたければ履けばいいとわかっている。わかっているし、年上の人が短パンを履いていたら、素敵だなと思う。なのに、自分が短パンを履こうとすると、40代なのにいいんだろうか、と疑問を抱く。隣の40代が短パンを履いていたら「いいね!」と言えるのに、自分には許可できない、という矛盾。
短パンに関連しているのは年齢だけではなく美醜という考え方もある。ありのままでいいじゃないですか、という考え方が好きだし、美醜によって人の価値を決めるのは時代遅れであるよとわかっている。わかっているのに、きれいな人たちを眺めては礼賛という形で消費したり、一方で自分の外見にぎょっとしたり、美容医療について調べたり、この化粧品の成分がなんとかかんとかでどうのこうのというのを、よくわからないままにブックマークしたりする。
浮世離れしていくことへの恐怖というのもある。浮世離れと年齢相応というのはまさに逆の位置にある考えだから、年齢の話と大いに似てしまうのだが、いわゆる普通の日本人の勤め人が持っている常識とか倫理観とか…から離れていかないかという不安。といっても何が普通なのか誰が普通なのかという話にすぐぶちあたってしまうし、そんなものぶち壊せとすら思うのだが、自分がそこからズレてしまうのは怖いという矛盾がある。あんたの人生、好きに生きればいいと思いながら、嫌われたくなくてキョロキョロしてしまう。*1

短パンはあくまで例であって、それが仕事だったり趣味だったり人間関係だったりに悉く広がっていき、いちいち戸惑う。

友達になら言わない悪口を自分になら言えてしまう。
友達になら言えるアドバイスを自分には言えない。
自分を特別だと思いすぎているのだろうか?
満足することを知らない?身の程をわきまえていない?
こんなに自分のことばかり考えているのに自分の求めているものがわからなくて、つい横になってしまう。
これでよし、と言いたいだけなのに。

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*1:なお、こういう考え方と海外生活は非常に相性が悪いと思う…




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