去年の誕生日に、39歳だから、みんなにサンキューしながら生きていこうと思った。感謝の一年にしようと。だけど、実際あんまりできなかったな、というのが40歳になってみての振り返りである。なんだか卑屈になったり、驕ったり、甘えるだけでお返ししない1年だったと反省している。
実際に顔を合わせぬままお世話になる人が多くて、本来なら握手したりハグしたり、手を取ってぐるぐると回転しながらありがとうを伝えたいようなことがあるのに、結局伝えるメディアは文字であったり、スタンプであったりして、濃度が足りていない。
それだけでなく、転職と転居で一気に日々関わる人物の数が減って、誰かと口頭で会話する機会が減って、少しずつ頭がおかしくなっている感じがしている。すごく偏っていくような、バランス感覚を失っていくような。浮世離れってこういう感じかな、と思う。
喋らなくなったぶん書くことが増えて*1、書いたものを読んでいただくことも増えた*2のだが、その内容が「合ってるのかな?」と不安になる。合ってるかというのは、情報の正誤がどうかではなく(もちろん情報として誤っていることは書きたくないのだが)空気や時節に乗れているのだろうか、という不安だ。浮世離れの影響がまろび出やしないかという不安。
日本でない場所に住んでいるものの、わたしの生活はほとんど日本語でできている。ほぼ全身が温かい空気(という名の日本語)の中にいて、ふくらはぎの半ばくらいから下だけが足湯(英語とマレー語と中国語)に浸かっている感じ。そんな空気の中にいても、実際には生きている日本語を浴びている感覚がない。ツイッターという偏った虚構の空間で虚構の人々と触れあった気になって虚構の考えを頭に流し込んでいるだけという気がする。リアルなものがない。そこから生成されている私の文章って大丈夫なんだろうか。大丈夫ですか?*3

そんな中で文学フリマがあって、本を読んでくださる方に直接サンキューを言えるチャンスがやってきた。前日と前々日は実家で準備をしていて、家族にいろいろと助けてもらう事態となり、こちらも感謝を表明しなくてはと焦る。
すべてがリアルですべてがオンタイムだ。画面越しのシンキングタイムは無い、丸見えだ。
がんばるぞ、と意気込むのだが、これがどうして、なかなか満足にコミュニケーションできないものなのだった。
文フリではツイッターで長年フォローし合っている方がブースに来てくださったり、寄稿した本のおかげで新たにつながった方のブースに行ってみたり、いろいろなチャンスはあったのだが、なんだか、もごもごしてしまう。お話ししているうちに通るほかのお客様を掴みたくなって話が途切れてしまったり、急いで会場を回ろうとするあまり名乗り忘れたり、グダグダだった。これは常に頭の中で「在庫は捌けるだろうか、どのくらい残って実家に戻すことになるんだろうか」という思いが去来して、落ち着いていられなかったのが敗因だ。前日に母と「どのくらい持って行こうかな」「そんなに期待しない方がいいわよ、少なめにしときなさい」「うーんしかし…」とやりあっていた、母の意見が大体合っていた。その焦りからか、それともいつもより多く人と話して消耗するせいか、お腹が空いてお菓子*4を食べ続けた。
徐々に疲れてきて、最後の方には「自分はどこにも所属していないし、この場に存在していない」という気持ちでいっぱいになってしまった。リアルな場に負けている感じ、こんなに人がたくさんいるのに誰ともコミュニケーションできていない感じ。定型の文言以上の言葉が口から出てこない感じ。
追加料金払うから延長させてほしかった。それで、もっと売ったり買ったりしたかった。でも同時に、誰と何を話したらいいのかわからなくて、早く帰りたくもあった。
終了の拍手のあとは周りの撤収作業がものすごい速さで進んで、またさみしくなる。お隣のブースにいてくれたいか文庫の店主(十七時退勤社としてご出店)が、帰る前にまた会おうねと言いながらぽんぽんと手のひらを合わせてくれたのでちょっと泣きそうになる。店主、ありがとうございました。
ロイヤルホストでの打ち上げで悪酔いしたのか、成田空港近くのカプセルホテルに辿り着く頃にはもうなんだか心が折れつつあって、頑張ったつもりでいたのに間違っていたのだろうか、とか、ごまさんにご迷惑ばかりかけてしまったな、わたしが今後やるべきことはなんなんだろうとか、などと思って、ちょっと泣きながら寝た。
寝て起きたら元気が出た。すごい楽しかったな!!!とニコニコしながら飛行機に乗った。前夜の落ち込みはただ極端に疲れていただけだった。

文学フリマに出店するにあたって、作ったものを卑下しないように頑張る…ということを強く意識していた。
面白くないかも、自信ない、もっとこうすればよかったああすればよかった、もっと良い本がこの世には無限にあるのになんでこれを、、、とゴチャゴチャいうのは、おそらくなにか作っている人に共通して付きまとう思いだろう。ウオーもうこれで完璧最高傑作やで!と思える人はどれだけいるのか。わたしはなかなかそうなれない。なれないのだがどっこい作ってる間は超楽しくて、ワーッと完成させちゃってて、入稿データができたときは有頂天のピークなもんだから「いけるっしょ!」とか言って大量に印刷しちゃってて、もう売るしかない。そうなったときに、もじもじしないということがとてもとても難しい。買ってもらうなら、値段をつけるなら、自信ないとか言ってはならぬのだ。それってつまりマーケティングだ。「これはいいものですよ!」と世間に伝えることだ。
文フリはマーケティングと謙遜が混在している世界だった。
わたしはリアルな場に立つと謙遜につい引きずられてしまう。作ったものに自信がないわけじゃないのに。たぶん、結果として売ってはいるけど、もともと売るために作っているわけではなく、作るのが楽しくて作っているから、こうなるのだと思う。
作ると売るの間の川を越える…というか、売る場面に耐えられるようになるにはどうしたらいいのだろう。場数しかないか? それよりも作りたくて作ったものを、まさか買って読んでもらえるとは!という奇跡のような事態をもっと噛み締めたほうがいいのだろうか。噛み締めたサンキューを相手に伝えるには、どうしたらいいのだろう。クオカードプレゼントか?*5「#文学フリマで買った本」のハッシュタグを眺めながらぐずぐずとまた思い返している。
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というわけで文学フリマgommブースにお越しいただいた皆さまありがとうございました!!!めちゃくちゃ嬉しかったです。めちゃくちゃ嬉しかったことを上に書かなくてすみませんが、めちゃくちゃ嬉しかったのは確かです。
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