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ポトフときれいなもののこと

 

健康的にも財政的にも、なるべく自炊しなくてはと思って、するのだが、毎日職場から帰ってきてから何かこさえるというのがめんどうなので、日曜か月曜かに一週間分まとめて作る。
朝はバナナを食べて昼は勤め先の社員食堂で食べるので夜の分だけだ。
大抵の場合、ポトフにする。鶏、にんじん、セロリ、玉ねぎに水とブイヨンを入れて煮るだけ。ポトフという名前がこの料理についていて良かったな、と思う。自分が作る料理は大概名前がなくて、なにかとなにかを炒めたもの、とか、なにかと何かを煮たもの、とかになってしまう。そうでなく名前のあるものが食べられると、少しだけ自己肯定感向上に寄与する気がする。

食べることが好きだし美味しいものが好きだし、料理も嫌いじゃなくてかつてはケータリング業に転じたいとさえ思ったりもしたけど、いまや自分のために料理することへのモチベーションがほとんどない。うまいものは食べたいが、それに関わる買い物から食材の管理や諸々の手間を思うとすぐ諦めてしまう。食べたことのない食材や調味料がスーパーに売っているので、それを調理してみると楽しいだろう、とかも思うのだが、辿り着かない。何はともあれ不足しがちな野菜とたんぱく質を摂取しようね、というコンセプトに合致しているのがポトフなのだ。火の調整も味付けの調整もいらない。鍋に放り込んで放置。出来上がったらタッパーに分けて冷蔵庫。以上。

ただあまりにポトフを繰り返しすぎたので流石に飽きて、こちらに住み始めて1年、やっと醤油を買った。鶏肉を別な調理法で食べることにしよう、まずはお酢と醤油で煮たのを食べようと思ったからだ。お酢は家にある。なにかを塩胡椒炒めにしたらお酢をかけたいし、お酢と油があればドレッシングにもなるから、お酢のほうが醤油より個人的に需要が高くて、住んでからすぐ買ったのだ。
そして鶏肉と大根をお酢と醤油と蜂蜜とで煮たものを作って食べた。
なお砂糖は買っておらず蜂蜜が代わりにある、ヨーグルトにかけるつもりで買ったから。ちなみに砂糖はなくとも塩はある、スパゲティを茹でるときに使うから。
美味しくできた。食べたいと思う味を作れるのってやっぱりいいことだな、と思った。
よかったよかったと食べていたのだが、三日目くらいでふとグラッときてしまった。汚い。見た目が。どちゃ、としている。

どちゃ、としていて、つらいな、と急に思ってしまった。

お昼の食堂のご飯もそうなのだ。いわゆる経済飯スタイルで、ご飯の上にどちゃ、とおかずやらカレー的なものやらが載って提供される。段々と渾然一体となっていく米とあらゆるものを、スプーンで掬ってわっせわっせと食べる。毎日美味しいので全然気になっていなかったのだが、もしかしてこの「どちゃ」を浴びすぎてしまったのかもしれない。きれいなものが食べたい。
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ざっかけない空間、というのだろうか、そういう場所が好きだし落ち着くし、そういう場所で出てくる食べ物が好きだ。安いし、大概美味しいし。
しかしきれいな場所、きれいなもの、必要以上に手のかかったもの、みたいなものを現実に浴びる必要も同時にあって、それを怠りすぎると心が挫けてしまうみたいだ。SNSを見ていると自分できれいなものを作って食べている人たちがたくさんいて、それができていないことに落ち込む。きれいなものは画面で見ているだけでは全然効果がなくて、本当に体験しないといけないようなのだ。バランス、バランス、と念じながら好きなカフェに行って、きれいなものを目にも口にも詰め込むことを自分に許す日曜日。帰ったらポトフを作る。

 

 




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