1914年にはじまった第1次世界大戦による好況は、物価高騰をもたらし、賃上げ要求争議が頻発しました。これに危機感を抱いた大阪市役所は、1917年7月から大阪市電の従業員や市役所で掃除などを行う雑役人夫を対象に、米価手当の支給をはじめています。
この手当は、米1升(=100合)の基準価格を18銭として、それを超過した差額の20倍を支給するものでした。なぜ20倍かというと、夫婦が1ヶ月に食べる米の量を2斗(20升)と計算したためです。2人で月に200合も食べるとは! 米5キロがほぼ33合に相当するので、毎月5キロの米を6袋購入していたことになります。貧しい家では、副菜は味噌汁や漬物などしかなかったので、米を食べて命をつないでいたのです。
1917年11月、ロシア革命により帝政が廃され、世界初となる社会主義国が誕生しました。これに危機感を抱いたアメリカをはじめとする資本主義諸国は、1918年に入ると、ロシア革命をつぶそうと共同出兵を企図し、日本政府もこの動きに同調しました。
ここで暗躍したのが米商人です。軍が出兵するとなると、多くの食糧が必要です。それを見越して、米商人は米を買い占め、出兵がはじまったら政府に高値で売りつけようと目論んだのです。
(上の写真はWikipediaより画像リンクを取得して表示。「1918年、ブラゴヴェシチェンスクに入城する日本軍と日の丸を振って出迎える市民などを描いた作品。空からは航空隊により布告文が撒かれた。『救露討獨遠征軍画報』より」https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b5/The_Illustration_of_The_Siberian_War%2C_No._16._The_Japanese_Army_Occupied_Vragaeschensk.jpg)
1918年はじめに1升25銭だった米価は、7月末には40銭近くまで上がり、8月2日に政府がシベリア出兵を発表すると、毎日1銭ずつ値上がりし、9日には50銭に跳ね上がりました。
7月23日に富山県で米騒動がはじまっており、大阪市役所もその動向に危機感を抱いていました。そこで、大阪市役所は、8月5日から市内4カ所の公設市場で朝鮮米を1升37銭で売り出しました。殺到した市民により米は1時間で売り切れ、翌日以降は、朝3時半から並ぶ人もいました。
ただし、朝から並んでいるのは「立派な家の女中や丁稚」ばかりでした。貧乏人は、朝早くから米のために並ぶ暇があったら、日銭を稼ぐために必死に働かなければならなかったからです。この貧乏人の怒りが爆発するさまを、次回で紹介します。
(エル・ライブラリー特別研究員 黒川伊織。初出は機関紙編集者クラブ「編集サービス」2025年6月号。原文には写真なし)