長らく凍結状態だったこちらのサブブログ…。
少しずつ緩み、かなり気ままなサイクルながら投稿を再開しております。
10代最後の年に出会った下田逸郎の作品は、その後私をとりこにし、私の人生に作用しました。
当時知り合った青年と、湘南の海岸に座ったときが、下田氏の作品との出会いとなりました。
彼は、ハンディのカセットデッキを携えており、浜辺でその音楽を披露したのです。
私はとても居心地が悪かった。
そういう演出が、どうも肌に合わなかったのです。
曲も私の内部には届きませんでした。
彼は、そのカセットテープをそのまま私に貸してくれました。
アルバム『銀の魚』と『LOVE SONG IN THE NITE』をダビングした2本を…。
私は、ひとりの部屋で改めてそれを聴きました。
聴く程に心に沁み入って
で…そう、虜になったのです。
男女の出会いから、別れまでを音楽で物語った『銀の魚』。
下田逸郎を知る人は、私の周りにはおらず、それを私に教えてくれたその青年はそのまま私にとって貴重な存在となったのです。
私にとっての彼はステージ上の人で、彼にとって私は、客席に光る「銀の魚」?
そんな、甘やかな世界が展開したのです。
しかし、揺るぎなく相手を「好き」になってしまった私に対し、彼の方から同等のものが返ってくる手応えを感じることはできませんでした。
交際は続いていたものの、大切にされている実感がなかったのです。
私が私を大切にする人ならば、とっとと別れてしまったことでしょう。
しかし、私はその欠損感にしがみつき、彼を追うことをやめなかったのです。
彼は、どんな嗅覚が働いたものか、彼女としての位置づけは、決して高くはなかったのに、結婚するなら私ということだけは揺るぎなく持っており、紆余曲折ありながらも私たちは結婚しました。
その後の生活は、悲しいことに、描いたような幸せにつながりませんでした。
生活を共にするのです。
あれほど共にいる時間が貴重だったのに、相手は常にそばにいる。
お互い嫌なものが見えてきて、温かい気持ちを持続することが難しくなりました。
そのうち私は母となり、私の全存在が、「女」であるより「母親」であることを選ぶようになりました。
さあて、そうなると下田逸郎の歌の受け取り方すらも変容していかざるを得ません。
「愛」を歌ったものを、ストレートに受け取りづらくなったのです。
私の好みは、『飛べない鳥、飛ばない鳥』に定着してゆきました。
もちろんこれも、「愛」を歌ったアルバムです。
でも、「この人!」
とひとりの人に思い入れた自分の過去と切り離して聴くことができるのです。

終わらない道歩く
ひとりひとりで生きる
今はこの歌詞が私の気持ちに添うのです。