こんなこと…妄想が半分以上かもしれないけれど…。
と前置きを据えておきましょう。
また、長い記事になることも…。
苦痛な方は、ご遠慮なく離れて下さいませ。
この度の選挙結果…事前に情勢は伝えられていましたが、それにしても圧倒的でしたね。
これが今の日本人の民意なのだと受け止めるしかありません。
ストンと気持が落ち着きました。
結果は動きませんからね。
これに関しては、もう、ああだこうだと考えることもしないでおこう。
そんな気持ちになりました。
それなのにね……考えているのですよ。
どんな妄想よ!と思われるかもしれないようなことを。
きっかけは、数日前に目にした北海道新聞(以下道新)の記事です。
切り取ろうか?どうしようか?
と思いつつ、古新聞としてまとめてしまいました。それを再び広げて散らかしながら探すことはしたくない。
そこで、デジタル記事を当たってみました。
ありましたよ。
こちらです。
雨宮処凛氏の新著『25年、フリーランスで食べてます』の紹介記事です。
記事全文ではないので貼り付け許されるかな?
雨宮 処凛(あまみや かりん、1975年1月27日 - )は、作家、反貧困ネットワーク世話人、『週刊金曜日』編集委員、厚生労働省ナショナル・ミニマム研究会委員、「こわれ者の祭典」名誉会長。
(ウィキペディアより)
彼女は、右翼の思想に惹かれた理由として、当時の右翼団体が彼女の生きづらい原因を見事外側に示してくれたからだと語っています。
約2年間の活動の後、そこを離れた雨宮氏は「反貧困」の活動へと向かうようになり、現在に至ります。
この記事を読んだ私はすぐに、ある男性のことを思い出しました。
「メンズ・リブ・フォーラム 札幌」を立ち上げた人物。
名前も忘れておりましたが、この人のことを過去に発信していた紙媒体の通信に書き残しております。
引き出しからそれを探し出しました。2007年の6月号。
松野元という方の転身についてを綴ったものですが、その出どころはさらに2年前、2005年5月の道新記事です。
彼の「改憲」から「護憲」へという180度の転身の経緯が取り上げられておりました。
以下それの要約となります。
松野氏は若い頃利潤を求めるだけではない働き方をしたいという理想を抱き、首都圏の生協などで約8年間働きましたが、理想と現実との大きな開きに失望し、札幌へUターンしてきました。
自分の生き方、社会のあり方に関心を持ち続ける彼は、漫画家の小林よしのり氏ら、現行の歴史教科書を「自虐的」と批判する人たちの本を読み、次第に傾倒していきます。
日本の歴史の光の部分にこだわり、目を向けるようになったのです。「新しい教科書をつくる会」にも参加。そこでの仲間と一緒に保守系市民団体を作りました。
2004年の参議院選挙の際には、自主憲法制定を訴える候補を支援すべく、活動を開始。
しかし警備会社に勤める彼は、活動に関わる時間が思うように取れませんでした。
そんな彼に対し、仲間から中傷が入ります。
「弱音を吐くな」「過労死しろ」というような内容のメールが執拗に送られてきました。
それを受け取る松野氏は、その排他性、攻撃性に耐えられず代表を降りることに。
このことをきっかけに、彼はこれまでと違う立場の人と深く話してみたいと考えるようになっていきます。
北大助教授による「男性学」の講義を受け、自分が「男らしさ」に過度にこだわっていたことに気づくのです。
「自分は年収も少なく、競争社会の中では『負け組』だ。それでも自分を強く見せたいと思っていた。かつての私はそれができずストレスがたまり、代わりに自分が属する国家に強くなってほしいと考えていただけてはなかったか?」
松野氏はそう語ります。
自分が弱者の側の人間であることを自覚した彼は、社会保障や福祉という分野に目を向けていくようになります。
さらには、「護憲」の立場になって活動を行うようになりました。
要約としながらも長い文章になりました。
その後の松野氏のことが気になり、検索してみましたがヒットしませんでした。
これは、2005年当時の松野氏の状況であることをご了承下さいませ。
また、雨宮氏と松野氏、たった2名の例が全てに当てはまると主張したいわけではありませんので、それも予めお伝えしておきますね。
その上で私は思ったのです。
お二人が、いっとき保守系の思想に惹かれたとき、すでにその内面においては逆の作用が働いていたのではないか?
所属する組織や国の、強さや揺るぎなさを頼り所属することで、内在する弱さや心許なさから逃れようとしたものの、それによって生きやすさは得られなかった。
置き去りにされた内面からの訴えは、次第に大きくなり、収まりきれなくなり顕在化した。
そのように読み取れるのです。
この度の選挙結果にも同じような構造が隠れていないだろうか?そのように考えました。
ここは、誤解の生じないように慎重に伝えるべきところですね。
この度、高市氏に期待し一票を投じた個々人の内面をこのように断じたいわけではないのですよ。
また、期待の向け先がこの度野党であったにしても同様の現象が内在することも含めて書いております。
人それぞれの一票は、どこに投じられたとしても全て貴重である前提は揺るぎません。
それこそが、選挙の価値ですから。
先の選挙期間中、何故今多くの人が生活苦を実感している中、また円安による物価高を目の当たりにしていながら、それでもなお高市氏への期待が高まるのか?という疑問の声を、他者によるブログやその他ネット情報の中で目にしました。
新政党「中道」は、生活者の側に立つことを強く主張してきましたが、多くの人はこの政党に希望を見出せなかったのです。
国民の多く、特に若者たちが、元気、活力、物事を動かすパワーを高市氏の全身から受け取ったのだと思います。
そしてこの結果が生まれました。
ただね、顕在化したこの明確な現れの下で、潜在的な別のエネルギーも誕生したと考えられないでしょうか?
ここからは、ますます妄想がかって受け取られかねませんが続けます。
これまでに何回か話題にした、瀬知洋司氏のこと。
高次元の存在である「小さいおじさん」と長く暮らす人によって発信された顕在意識と潜在意識のこと、エネルギーの働きについて。
瀬知氏の著書『となりの小さいおじさん』によれば、
エネルギーはバランスを取る。1なら1、2なら2、右なら左へ、上なら下へ。同じ力でバランスを取る。一方通行じゃない。往復する。つまりゼロを目指す。
ということらしいのです。
人間の顕在意識と潜在意識との関係も同様とのこと。
kyokoippoppo.hatenablog.com
この度の選挙結果は、自民党に歴史的な勝利をもたらせ、今後の高市政権の安定が顕在化しました。
しかし、小さなおじさんの言葉をそのまま受け取れば、これは潜在的なところで常に逆に働くエネルギーを内在化させたことを意味します。
個人的な規模でいえば、雨宮氏や松野氏の中で生じたと思われるこのベクトルが、今後の日本の歩みの中で働くであろうことを私は思うのです。
今後のこの国の動きや変化を静かに見つめていきたいと考えております。
自分の生活においては、過度なエネルギーの振れ幅に振り回されぬよう暮らしていこうと思います。
なかなか難しいことなのですがね。
最後に本日視聴した動画をここに。
youtu.be
