はい!ごめんさいよ!
3つも重ねることとなったこの度の「相鉄線」にまつわる記事…今回は残務処理的なものになります。しかも、「相鉄線」はかなり遠景に押しやられてしまい、単に「その後の私」が綴られています。

三ツ境
高校生となった私。
N◯子、J◯子とは、各々違う進学先となりました。
相鉄線三ツ境駅から、バスに乗り継いでたどり着く県立松陽高校。
私はその高校の2期生なのです。
当時は、新設高校が次々に誕生していて校舎の完成を待たずに高校ができていました。
1期生たちは、別の高校の間借り教室へ通う1年を経た後、新年度から我々2期生と共に、新校舎での学校生活を始めました。
最も相鉄線を利用したのは、この3年間です。
いずみ野線という新路線が二俣川から延び、高校最寄りの駅ができることは、情報として知らされていましたが、私の在学中には叶いませんでした。
相鉄線の下りを利用する私たち。
方や上り線に乗り、横浜駅を利用する高校生たち。体験することは、やはり違いましたね。
私らが下校時寄る店は、学校近くの小さな商店くらい。(石井商店だったか?「石井屋さん」と呼んでいた記憶が…かすかに…)
我々の下校時に退勤が重なった先生にたかって、三ツ境駅近くの喫茶店であんみつをおごってもらった記憶などがほんのり残っています。
町田
この駅は相鉄線には存在しません。
小田急線に存在します。
引っ越しによって私の生活圏が、変わったのです。高校卒業間際に、我が家は成瀬台という新興住宅地に引っ越しました。
新しい土地での新しい暮らしではありましたが、町田市は神奈川県と隣接しており、中でも成瀬台は県境ギリギリの場所に位置しているのです。
上菅田時代によく訪れた「子どもの国」が、住宅地から徒歩圏内にあることを知ったときは、驚きましたね。
「え?何で子どもの国がここにある?」
という驚きです。
この度地図を描いたことで、改めて「なるほどね!」と思った次第。
「こどもの国」に関して綴られている過去記事から一部抜粋いたします。
この住宅街の外(東側)に踏み出すと横浜の縁にあたる土地となり、そこにはくねくねと曲がる道があり、庭を持つ農家あり、秋空には柿の実が映えており、グズの葉が生い茂る空き地があるのでした。
それは、私の幼少期共にあったものであり、私たちが後にしてきたものであり、ため息が出るほど馴染み深いものなのでした。
新興住宅地と、その東側の世界の境界は私たち家族の時代を区切る境界でもありました。
厳しいローンを組んで引っ越したものですから、母親はさっそくパートに通いました。
勤務先のパン屋さんから今まで食べたことのなようなオシャレなパンを持ち帰ってきました。
カラフルな「ミックスベジタブル」が乗ったパンや、バターの風味豊かなペストリー。
新居は憧れだった二階建てで、ベランダもある・・・。
でもそこからすぐ東には『境界』がありました。
境界の先にある田舎道は、『こどもの国』に通じており、徒歩でたどり着くことが可能でした。
よそよそしい新興住宅地が、子ども時代の懐かしい場所へとショートカットでつながることに驚きもし、喜びもしたのです。
海老名
短大時代を経て、私は小学校の教師として働くことになりました。
神奈川県の採用試験を受けたのは、東京都より神奈川県へのアクセスがしやすい土地の事情に加え、私の神奈川へ寄せる親和感も大きな要因です。
海老名駅から、バスに乗り継いだところにある天台小学校が私の職場でした。
利用する海老名駅は、小田急線の…ということになりますが、相鉄線の終点でもあるその駅を身近に感じての通勤です。
こちら↓同タイトルの記事に、寄せられたuwisizenさんからのコメントです。
相鉄線、なつかしい。
海老名は、国分寺跡を見に行く途中は田んぼでした。
ここに国分寺があったのかと感激しました。
おや!uwisizenさん!
海老名駅発、勤務先までのバスは、この「国分寺跡」の停留所を通るのですよ。
極々個人的な記事を発信したところ、思いがけず、ブログ仲間とのささやかなかな接点を見いだすことになるのですから面白い。
かしわ台

天台小学校から徒歩圏内に、相鉄線の「かしわ台駅」があります。
平時の通勤には利用しませんでしたが、この道を歩いた記憶が確かにあります。
当時はまだ、土曜日半ドンの日課でしたので、そんな午後にのんびりと徒歩退勤をしたのかもしれません。
相模大塚
また、小学校からほど近いところにあるのが、「厚木基地」です。
厚木の地名がついておりますが、基地は神奈川県綾瀬市に存在します。
基地設立時は、まだ町だった綾瀬。
知名度が低かったため、基地名として採用されませんでした。
近隣の市は?
…大和市。
米軍基地に「大和」はないだろう、ということでこれもはじかれ、最終的に厚木の地名が冠されました。
教職員の初年度講習でここを訪れた際、職員の方から聞いた話です。
小学校から相鉄線相模大塚までの、バス路線に乗れば、車窓から見えるのは英語の看板や異国風のお店などなど。
いっときではありますが、不思議なエリアを通過することになるのです。
私はこの小学校で、3年間勤めました。
悩み満載の日々でして、北海道に嫁ぐことを理由に退職したときは、肩の荷を下ろした気分になりました。
一連の記事を書きながら、懐かしい出来事を次々と思い出し、脳裏に残る景色がよみがえり、私はとても楽しく綴りました。
お付き合い下さった皆さまありがとうございます。