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『母を捨てる』を読んで…③

 あちらこちらから桜開花のニュースが届き、一部の地方からは、「夏日だ!」「真夏日!」との声が…。
なのに当地ときたら…。
昨日26 日は、ビュービューと冷たい風雪が吹きすさびました。

梅でもあらず、桜にもあらず、氷の蕾が並んだナナカマドの枝ですよ。

早く来い来い!
春よ来い!

 さて、菅野久美子さんの著書『母を捨てる』について綴る3回目です。

ネットでは"性と死を見つめるノンフィクションライター“として紹介されている菅野久美子氏です。

アダルト業界の取材に始まり、その後事故物件や孤独死の現場取材を精力的に行い、そのリアルを発信してきました。
生きづらさを抱え、人生の泥水を飲みながら生きた人、またその末に亡くなった人たちの生き様を、テーマとして扱っています。
風俗業界の取材においては、幼少期に「痛み」と「愛」が分かち難く結び付いてしまった久美子さんだからこそできる発信が評価されたようです。
彼女は、繰り広げられるSMの世界を感覚的に理解できたのでしょう。

また、それを的確に表現できる文才もお持ちだったのです。

 彼女の文章を書く才能、技術に大きく寄与したのが母親による教育でした。
ここでも「教育」という言葉が登場しましたね。私はここから「教育虐待」を関連付けて書くつもりでおりました。
そんな気持ちでこの記事を書き始めました。
ただ、久美子さんの母親の行為を教育虐待と断定するのは難しいかもしれません。
何故なら、久美子さんは、自ら積極的にそこに身を投じたからです。

しかし、だからこそより深い、親の負の影響力を感じてしまうのです。なので、これも教育虐待の一つの姿かもしれないとう捉え方で、先を綴ることにいたします。

 きっかけは母親が作りました。
久美子さんが学校から持ち帰った作文コンクール募集用紙を見た母親は、娘を原稿用紙に向かわせると、自分の指示通りに書かせ出品させたのです。
もと国語教師であり、作文指導を得意とした母親によって書かされたその作品は、大賞を取り、久美子さんは全校児童の前で表彰されました。
それは母親を大いに満足させました。
一方久美子さんは、母との合作という作業によって、大好きな母との一体感を味わうことができたのです。
書くことによって母と繋がれると知った久美子さんは、その後も書き続け、様々なところへ投稿をするようになります。

始めこそ、母親の文章を書き写す行いが続きましたが、そのうち彼女が書き、母が添削する流儀となり、最後には自身で書き上げられるようになりました。

投稿先ごとに、どんな文章が求められ、どんな内容が受けるのかを研究し、それに上手く合わせた文章を意識して書き上げる努力を続けました。
多くの人の目に触れる新聞投書にも手を伸ばしました。
それらは次々と掲載され、また、受賞し、居間にはピカピカの盾が並び、額に収まった賞状が増えてゆくのでした。

 久美子さんの小中学生時代は、ちょうど1990年代の早期教育のブーム期と重なってもおりました。
彼女が文章を書き始めた時期とときを同じくして、巷では一人の天才童話作家が誕生しています。

『天才えりちゃん 金魚を食べた』を書いた当時6歳の竹下龍之介君です。

そして、その子を育てた龍之介君のお母さんによる教育指南書も、共に注目を浴びていたのです。
久美子さんの母親の野望も過熱しました。

我が子も続け!との思いから久美子さんに『公募ガイド』を買い与え、創作部門への挑戦も促したのです。
そして久美子さんの作品は、地方新聞で公募されていた童話の部門で、見事掲載されデビューを果たしたのです。
大人たちの独壇場であったそのコーナに現れた少女作家として注目されることとなりました。
しかしこのような「明」は、同時に「暗」も生み出します。

手当たり次第に、投稿を続けながらも心を占めるのは、これは採用されるだろうか?
新聞に掲載されているだろうか?
という不安です。
明と暗の結果に苦しみ、それによって味わう落差が、彼女の気持ちを乱すのでした。


 母親の愛と承認を手に入れるために、書くことに固執し、普通の小学生とはほど遠い生活を送ってた久美子さんは、学校では浮いた存在になり、いじめの対象になっていました。
しかしそれすら気にならない。
久美子さんにとって、それより何より大事なことが、母からの承認なのでした。

「私は天才のふりをするピエロとして生きた」と彼女は書いています。


 ある日突然のこと、彼女の作品が度々掲載された「童話の部屋」に、新たな子どもが参入してきました。
新星現る!
その後、その子の作品が頻繁に掲載されるようになったのです。

全身のチカラが抜けて、いったいどうしたらいいのか、わからなくなった。母の失望の眼差しは、暗にお前は不要だと告げている。そんな母の視線が怖くて、パニックになる。

母親が、「お前は不要だ!」と告げたとは書かれていません。
しかし、久美子さんは母からそんなメッセージを嗅ぎ取ってしまうのでした。
自動的にそのように感じる回路が、出来上がっていたのでしょうね。


私はいつだって自分の中の少女を抹殺し、愛すべき母のために、死に物狂いで奔走してきた。母の期待に応えられない私は、存在価値なんかなかった。生きている意味なんてないのだから。

 寝る間も惜しんで書きに書いた彼女の結末です。

 この章では、母親が、声高に指示したり、強制的な言葉を発したという記述は見あたりませんでした。

しかし、母親には既にそんなエネルギーを使うことなく、久美子さんを支配する強大な力がありました。
彼女の狂喜する表情で、落胆する表情で、そのだだ漏れする感情とご機嫌だけで、我が子を操ることができたのでしょう。

 これも、教育虐待の末路のような気がしてなりません。
www.nhk.or.jp

教育虐待に関する情報です。


さて、もう少しお付き合い下さいませ。
下記は前記事にも貼った過去記事です。

 教育熱心で、テストの結果が悪いと、延々と叱られた経験を持つ私は、我が子にはこんな思いはさせたくない!と思いました。
良いんだよ、学校に通って、友達と遊んで、楽しく過ごしてくれれば…。
そんな気持ちを抱いて子育てにあたり、母のように熱心に我が子学習のめんどうをみてやることをしませんでした。
kyokoippoppo.hatenablog.com

 私は子どもが持ち帰るテストの結果で叱ることをしませんでした。
 教育熱心な親ではありませんでした。 
 さて・・・・・・私はこれで良かったのでしょうか?
親がしたことの、反対のことをしようとするのは、決して親から自由になったことを意味しないということを聞いたことがあります。
「反対のことを!反対のことを!」
という姿勢は、たとえ逆のベクトルをもっていても、そこに捕われているということに変わりはないからです。

 ・・・・・・・我が子たちの学校での有り様があり、成績があり、進路があり、今のそれぞれの生活があります。
みんな何だか苦しそう。
生活が。
私もまた、毒を飲ませたのかもしれません。

これを書いた日より年月が過ぎ、状況は変化したものの、自分の子育てに対して、このような思い持つ私です。
私は、母が勧めたからという簡単な理由で、教員免許が取れる短大に通い、3年働き退職しました。(向いてなかったわ💦)

 結婚後は、工場掃除、浜の仕事、商店でのパート、ダスキン配布など様々な仕事をした末に、再び学校という場所に戻りそこで長く働いています。この仕事により、大切なお金を得ているわけです。
これって、母の教育の賜物なのですよね。
 




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