我が子たちの記録…盛りだくさんだった2013年〜14年を越えてようやく2015年に突入です。
記述の参考にとテーブルに出しっぱなしだったYのアルバムも分厚い一冊を終えました。
そして続きとなる、「2015年から」と背表紙に書かれたアルバムを出してきました。
記事量も貼り付けも多く、いささかうっとおしい内容になっていると思います。
ご勘弁願います。
じゅっ・・・十万円!!!??
誰も帰省しなかった静かなお正月でスタート。
3月…Yは28歳に
4月…Aのお腹に赤ちゃんが。
ええ?想定していた順番が乱される。
5月にお相手さんのご両親と会う約束をしていたのですが、妊娠発覚と同時に娘を襲った強烈なつわりにより彼女は入院。
当日、こちらは湧別よりおのぼりさん。
娘は外出許可を得て砂川の病院からやって来ました。
その夜私とYとHとで会いました。
Aは、顔合わせの後病院に直帰しました。
夫は子どもたちとは会いませんでした。
アルバムのコメントによるとその頃Yと夫は断絶中。
何があったのか?
記憶に残っておりません。
コメントにも「とある事情で」としか書かれておりません。
Yは『スタジオクラベル社』で働いており、金回りは悪くなかった頃。
Hは、キタラコンサートホールで働く身でしたが、鬱症状を抱えての勤務。金回りもキツキツだったようです。
Yは
「毎月自由になるお金が10万くらいは残る。」
ともらし、
Hはそれを聞き、
「じゅ、じゅうまん!?」
と素っ頓狂な驚きの声をあげました。
円山近くのマンションで
そんな日から程なく、私は再びのおのぼりさん。
症状が落ち着き退院していた娘の住まい(滝川)で一泊。
その後連れ立って札幌へ向かいました。
何でもYが大きなプロジェクトを任され、東京に出張と相成った、ついてはブータローを預かって欲しい!
そんな依頼があったのです。
で、出向いた先が、札幌は円山近辺のマンション。
この頃は居候していたOさん宅を出ていたのだなあ。
アルバムを見ながら、追い付かない記憶を整理する私です。
部屋にはスチールと木材素材の高級そうな家具が並べられていました。

(Yのアルバムの1ページ)
夏にはこのような出来事がありました。⇩
上記記事より・・・

夫、私は湧別から、
滝川からAがやって来て、チケットが手に入らなかったもののYもやって来て、
中島公園で顔を合わせました。
夫とYとは久々の対面。
和解のムードも漂って、私は心からホッとしました。
11月・・・・Aは無事出産。
お祝いに駆けつけてくれたY。
その時渡されたのが、デビュー間近だった地元アイドル『撫子団』のデモDVD。
Yはアイドル育成に関わり始めていたのです。
会社は辞めていました。
この会社に関しての詳しいことは分からないのですが、おそらくオーナー的な存在の方がいて、その方の財源で回っていたのではなかろうか?
Yを含む数人の有志で始めたアイドル育成の事業も、当初はオーナーさんの協力のもと進められていたようです。
が、進めるにあたって不協和音が出始めたのでしょうか?
Yたちは会社を辞め、自分たちだけでアイドルの事業に関わることになったのです。
当時の出来事を、私はそのように受け取っております。
会社を辞めたYの生活は、厳しいものへと下降していったようで、再びフリーカメラマンの仕事に携わっていたようです。
Y撮影によるページが載る雑誌BE-PALの発行年を見てみると、2015年の12月号と翌5月号でした。

2016年1月・・・・『撫子団』デビュー。
わずか1ヶ月後の2月末、Yは憔悴しきっておりました。
その様子が伝わるメモがアルバムに残されてます。
働けど働けど見通しが立たない生活に希望を見いだせず…とYよりTEL。地元で暮らすかなあ〰とまで言い出す始末。でも仕事は?彼女さんは?と話すこと数十分。
そんな撤退モードの中で考えた末、家賃軽減の目的も兼ねて、彼女さんとの同居に踏み切ったY。
つまりね、また拠点を変えたのです。
これが春先のこと。
でね…これまでのゴタゴタやYの性格を知る方なら、薄々先が予想されることでしょう。
案の定でございます。
11月には彼女と別れております。
その後の動向については、メモもなければ記憶もありません。
が、彼女との関係解消と共に、その物件を後にし次なる物件へと移り住んだはずです。
時間を少々巻き戻し。
7月・・・・Hキタラ退職。
期限付きの仕事が満了となっての退職でした。
次の仕事なんて考えられない程病状悪化。
幸い私はその様子を見ることはありませんでした。
共に暮らしていた彼女さんの支えのもと療養をする身となったHでした。
打ち上げ花火と線香花火
2017年
メモによると4月の時期に
ご当地アイドルに絡む人気投票があり、『撫子団』がかかえるお一人がトップを勝ち取りました。(どの程度の規模内での投票かは、定かではありませんが・・・)東京は武道館でのトークライブへの出場権を手にしたのです。
Yに頼まれ、AとHもこの投票に協力をし、一票を投じました。
そしてみごと勝ち得た快挙!
HはTELで、私に次のように言いました。
「何だかんだYはやる!
あいつは打ち上げ花火をぶち上げる。それに較べ俺なんて…線香花火だよ。」
事業は、このイベントにより大きく化ける!そんな期待を抱いたYは、ここは先行投資だとばかりに借金により物販用の資金を調達。
が、しかし、イベント終了直後にメンバーの一人が結婚宣言、グループを抜けました。
CDやら、ポスターやらこのメンバーで今後も活動するつもりの物品が無用のものとなったのです。
相手は年端もいかぬアイドル志望の若い女の子なのでした。
思い出作りのトークショーを体験したあとの自分の振る舞いについて考える責任は無かったのですね。
この出来事を打ち上げ花火にたとえたHよ!
花火はどうあれ散り、消えるものだよ。
実際そうなったよ。
その後のメモは厳しいものが続きます。
お金が苦しくなり始めた頃から、再びカメラマンとしての仕事で口に糊するようになったYでしたが、数千円の仕事のために出た先で、十数万円のレンズだったか機材だったかを破損してしまった話も聞きました。
借金の返済が肩に重くのしかかる。
この頃は、故郷がやけに懐かしく感じたらしく、秋の産業祭りの頃帰省しています。
そこで見る風景、そこで当たる風に癒やされると語るYでした。
自分の友に
「仕事ないかな?」
など話していました。
「あるよ。」友達はそう答え、
「選ばなければね。」
と言い添えました。
結局Yは札幌へ舞い戻ります。
カメラマンの仕事、グラントホテルでの仕事。
雑誌社へ提供するストリートファッションの仕事。
しかし、11月にはその冊子が休刊となりYは定期収入を一つ失うのです。
長男Hの病状も非常に不安定。
さらには、前年結婚式をあげたA夫婦の関係にまで暗雲が立ち込め始めます。
おお、苦しい。