Hが作品をニコニコ動画にあげました。
そのタイミングに合わせて私は、長男の来し方を綴る記事をアップしています。
応援してやりたいのです。
(後のリライトにより作品はYou Tubeのものを貼り付けております。)
お時間が許しましたらご視聴下さいませ。
今記事でご紹介する作品はこちら。
www.youtube.com
さて、彼のその後を語りましょう。
過去記事をもれなく貼ることはいたしません。
興味を持って下さった方は『長男のこと』というカテゴリーで、記事を読んでいただけましたら幸いです。
ざっとこれまでの経緯を書きましょう。
⚫中学3年生になって初めてピアノを触り、その後夢中になりました。
⚫高校進学はせず、卒業後は近所のコンビニで働き始めました。
⚫バイトとビデオ鑑賞とピアノの日々・・・。
始めはバンド譜のピアノパートを弾いておりましたが、『ピースメーカー』という映画(ビデオで鑑賞)がきっかけで、クラシック音楽に興味を持ちました。
⚫卒業後約一年の春、札幌で行われた『素人ピアノ自慢コンクール』に出場。
音楽を愛する人との新しい出会いがありました。その出会いがなければ今のHはありません。
そういう点からも大事な出来事といえます。
●そこで出会った仲間からの誘いを受けて、秋には札幌時計台ホールでの演奏にのぞみました。
●同年12月には地元のピアノ発表会に出演、翌年の2月には「町民音楽の広場」にかつての級友も伴って出演。
音楽が湯水のように・・・
この見出しで語ることは、時系列のどのあたりの出来事か?はっきりしてはおりません。
ただ、私にとっては強く印象に残る出来事なので、今回の記事あたりで記述しておきましょう。
「音楽が湯水のように・・・」
「湧いてくる。」
息子はこのように言ったのでした。
鼻息荒く、頬を上気させ、自分の指が奏でる音楽に酔いしれ....。
まるで、自分の前世が「モーツァルトだったのでは?」
位の鼻高さんぶり。
なるほど・・・。
息子の部屋からは、美しいアルペジオ風の音が流れてくるのでした。
湯水のように・・・、途切れることなく。
「ああ、そうだね。」
「でも・・・」
得意気な息子の鼻を折るのは、気の毒ながら私は続けたのです。
「でも、音楽っていうのは、形式というものがあってさ。」
「たとえばこれなら、一段目が4小節で出来上がっているでしょ。」
「それが4段あってさ・・、」
「ほら!!こんなふうに3段めだけちょっと違ってさ。」
「例えば『ちょうちょう』ならさあ・・・」
私にしてもさほどの音楽知識があるわけではありません。
ごくごく簡単な曲を例に、音楽には形式があることを教えてやったのです。
Hは「ああ!!!」と驚きの声をあげました。
その頃はよほどの超絶技巧でない限り、楽譜を見ればすぐさま指が動き、メロディーが奏でられるほどにピアノ演奏の腕は上がっていたHです。
弾くことに関しては、譜読みが苦手な私などをはるかに凌ぐ力を持っておりました。
ピアノを通して様々な曲に接してもいたのです。
それなのにHは、このような基本的な知識を持っていなかったのでした。
後に、中学時代の音楽のペーパーテストがクローゼットから出てきたことがありました。
100点満点中一ケタの成績・・・・・なあんにもわかんない!!
ピアノと出会う前の、息子の音楽とのつき合い方はこのようなものだったのです。
動画がアップされる度に、私はこんなことを思い出すのです。
2002年(ピアノを弾き始めて3年後目)のころ
2002年秋には再び「時計台コンサート」に出演
演奏した曲は、ショスターコ ビッチの『プレリュードとフーガ第4番』
私はめいっぱいのお上りさん気分で札幌まで行き、息子と並び写真を撮りました。
その写真を見ると、すっかり日に焼けた顔の私がすましている。
日々サロマ湖上に出て、稚貝(ホタテ)のお仕事に励んでいた時期でした。
その頃の私は、たくさんの仕事を抱えておりました。
少しずつ増えていった仕事です。
一日1時間の工場掃除。
町のストアでのお仕事。
月一回のペースで巡ってくる「ダスキン」の仕事。
不定期の「浜仕事」
そして、週一回土曜日には、地域の会館に出向き、農家のおばあちゃまたちに、「キーボード演奏」を教えておりました。
本当に簡単な唱歌などをドレミで書いてやり、指一本でなぞればメロディーになるという程度のものですが、白い鍵盤にマジックでドレミを書き込んだキーボードを自転車の後ろにくくりつけ、おばあちゃまたちはせっせと通ってきてくれました。
レッスン終了後はおやつを食べたり、お手製の漬物をいただいたり、畑の収穫物をいただいたり・・・。
和気あいあいとやりました。
ワンレッスン500円。
月末に出席した分を支払ってもらっておりました。
「お母さんは音楽を仕事にしていていいなあ!!。」
コンビニの早朝担当少年Hは、こんなことをいうのです。」
「ええ!!こんなの音楽の仕事のうちに入らんよ。」
「でも、音楽でしょ。おれも音楽の仕事をしたいよ。」
そんな息子に
「うちの子にピアノ教えてやってよ。」
と声がかかりました。
お世話になっている漁師のKさんからの依頼でした。
息子は喜んで引き受けました。
2003年のことです。
自分のピアノが独学自己流であること、
その子が好きな曲、弾きたい曲を選び、それを教えること。
発表会などは行わないこと。
それを了承してもらった上で、生徒さんを受け入れました。
月謝は私のキーボード講師とおなじ仕組みをとりました。
一回ワンコイン方式です。
そして、一年続いたら100円ずつ値上げしてゆくということにしました。
◯◯◯ピアノ教室には、その安さ、気安さで生徒が数人集まってきました。
Hは、「音楽で仕事」・・を小さい規模ながら実現させたのでした。
(コンビニの仕事はその後しばらく続けました。)
同時期、私には小学校での非常勤講師の仕事を得ることとなり、ストアの仕事をやめました。
(他の仕事は継続)
小学校の教室で顔を会わす子供たちが、放課後そのまま我が家へやってきて習ってゆくのです。
我が家の居間は待機室となり、子どもたちはランドセルから宿題など広げたり、お絵描きをしたり思い思いにすごしておりました。
途中でやめてしまう子もおりましたが、いっときは10人ほどの生徒をかかえました。
・・・続きはまたいずれ・・。