過去記事2019.4.24のリライト版です。当時Hの活動場所はニコ動に限られていました。しかしその後YouTubeへ移行。リライトに際しまして当時リンクを貼ったニコ動からYouTubeのものへと差し替えます。2024年6月現在ニコ動はサイバー攻撃への対処として縮小営業をしており、彼の作品を視聴できる環境にはありません。YouTubeの時系列の古い順にHの作品を貼ってゆくことにします。古い作品は今のHにとっては不本意な出来栄えなのかもしれませんが・・・)
ランダムにではなく時系列に沿って、息子のことを語ってゆこうと決めました。
長男Hが、ニコニコ動画に編曲作品をアップするタイミングに合わせて、私も記事を投下することにしたのです。
「せっかく持っているブログというツールを使って、宣伝してやりましょう。」
という親心があるのはもちろんです。
Hについて詳しく語ろうと思った当時のきっかけです。
冒頭でのお断り通りにここにはHのYouTube動画を貼ることにいたします。以降の記述は当時のものを少々修正の上残しました。
矢継ぎ早の作品アップ
昨年はやらなければと思っても、パソコンの電源を入れることもできずにいたHだったようですが、いやいや今年はずいぶんとペースが早いこと。
年4回のアップがようやくだった昨年は、生産性のない日々を重ねる息子の心中もさぞかし辛かったことでしょう。
・・・と書いた後確かめたところ、8作品アップしておりました。なんだかすごく停滞していた印象があります。さらに前の年(2017年)が23作品でしたのでそれと比較した感覚だったのでしょう。
どうあれHが停滞感と焦燥感を感じながら過ごしていたことは確かです。
作業を進めらずに迎える夕方は、自分がふがいなくて責めに責める。
「それほど悔いるなら少しくらいできないのか?」と思ったのが私。
しかし、身体も心もコントロールできないというのが「鬱」というものの症状なのでしょう。
そして、その”動けない”という感覚が、未体験の人には想像しにくいわけです。
そのような様子ながらも、息子の病状は回復に向かっているとのことで、作業が進められないという焦燥感はありながらも、体調の変動はなるほど確かに少なかったと思われました。
体調の安定を保つために身体が求めたのが”このペース”だったのかもしれません。
kyokoippoppo.hatenablog.com
それが今年は、この春までにすでに3曲をアップしました。
「無理してないのかなあ?」
「大丈夫なのかなあ?」
・・・・どのみち心配するわけですが、Hの作品アップはやはり私の楽しみになっております。
アップのタイミングに連動させて、このブログでもHについて語ろうと決めて、今までに2回書いてきました。
『海の上のピアニスト』
さて、「長男のこと②」では中学卒業後コンビニで働き出したこと、クラシック音楽に興味を持ち始めたことなどを話題にしました。
その後のことを綴りましょう。
卒業後一年が経ちました。
Hはすっかりセイコーマートの顔になりました。店で、出会う労働者のおじさんたちが、
「おい、ぼうず若いな。」
などと声をかけてくれるそうです。
「学校には行ってませんけど、夢があります。」
などと答えると
「おっ!!いいな!頑張れよ。」
と励ましてくれる・・・そんなことを嬉しそうに報告してくれるHでした。
ビデオは相変わらず見ていて、レンタルビデオ屋さんに日参する日々。
立派なVIP会員です。店のおじさんも、もう”友達”といえました。
その頃、ビデオで観た映画の数々は息子の内面をおおいに耕してくれたと感じます。
『ファイトクラブ』の印象は特に強く、その後単行本を読みました。
本の世界にも触れ始めたのです。
おそらく級友と共に高校に進学していたら、ピアノの上達はもとより、本に触れることもなかったと思います。
その頃出会い、夢中になった作品があります。『海の上のピアニスト』です。
即楽譜を取り寄せたのはいうまでもありません。
エンニオ・モリコーネという作曲家の名を知ったのもこの時です。
ちえりあホール
ちょうどその頃、私はある新聞記事を目にしました。
『素人ピアノ自慢コンクール』の出場者募集の記事でした。
「ちょっと、ちょっと!これ!行ってみたら?」
前のめりの私に対し、Hは躊躇気味。
その息子に向かってさらに
「『留学しよう』くらいの気持ちでいる人が札幌に一人で出て行けなくてどうするの!!」
と発破をかけて出場することを促しました。
「十代にもなる若者が札幌行くのにビクつくのかい?」
と思われるかもしれませんが、なにせここは田舎!!
道道(どうどう)沿いに市街地がポツンポツンとならんでいるだけの町です。
人口より牛の数のほうが多い町です。
最寄りの駅は車で30分弱走ったところにあり、札幌へ直通の特急は一日数本しかありませんでした。(今や2本)
鉄道は電化されておらず、みんなが『汽車』と呼ぶ気動車に四時間も揺られてたどり着くのが、大都市『サッポロ』なのです。
その『汽車』にのる機会だって一年にいっぺんすらありません。
『汽車』は非日常の乗り物であり、サッポロはその頃の息子にとってまだまだ未知の町だったのです。
http://mackinixxx.jugem.jp/?eid=232mackinixxx.jugem.jp
Hは『海の上のピアニスト』のなかの一曲『愛を奏でて』(Playing Love)を携えて、その未知の町に行くことを決めました。
www.youtube.com
次なる出会い
始めて地下鉄に乗って(切符を買うことも大汗ものだったことでしょう。)地下鉄宮の沢駅近くのちえりあホールで、演奏を披露したのです。

そこで、新たな仲間と出会います。
札幌でピアノ演奏会を企画をしようとしていた人たちです。
その場で、同年秋に企画されている時計台ホールでの演奏参加のお誘いを受けたのです。
さて、今回はここまでです。