5月9日に新ローマ教皇が決まった。アメリカ出身のプレボスト枢機卿が選ばれて、まず思ったのは「世界を覆っている言語が優勢に決まってる!」だった。保守的な教皇選挙という文化でも、いよいよ北米からの人物が選ばれたのだ。
枢機卿たちが実際にコンクラーベの時に何語で話しているのか知らないが、この映画から推察するにラテン語で話してる人はほぼ一部で、共通言語など持っていない人が集まってワイワイやっているというのが実像なんだろう。
映画の中で、枢機卿たちがそろって食事をとる場面がある。その際、共通のラテン語を失った彼らは、結局、共通言語を持つもの同士でテーブルを囲んでしまう。イタリア語、スペイン語、英語、フランス語etc。おっちゃんたちは、知り合い同士でかたまる。大学の入学式の会場で同じ出身高校同士で座る新入生と変わらない。このシーンはキリスト教がいかにありとあらゆる国に普及しているかを表す一方で、言語の壁による分かり合えなさも同時に示している。多様性と不寛容は紙一重なんだよね。もし、ラテン語という共通言語があったら、もっとバラバラに座っても良かったはずだ。
個人的には、英語とちょっとのスペイン語しか分からないせいで、どの人物とどの人物が言語圏的に近い存在なのか全く読み取れなかったが、結局、言語の勢力図が社会のパワーバランスを決めているんじゃんか...と途中まで解釈した。最後のシーンまでは。(そもそも映画というメディア自体が言語的には英語と相性がいいから、実際のところどうなのかは分からない。しかし、本当にこんなに選挙の時には英語で話してるのか??と観客に刷り込むだけの影響力はあるだろう)
映画には、教皇を輩出したことのない大陸や地域出身の枢機卿が物語の展開に絡んでくるが、アフリカ出身の枢機卿がああいうオチに使われるのはちょっと暗い気持ちになった。なんとかならんかったんかなあの展開。