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「ナラティブ」って何だよ

1. はじめに

ナラティブが何かは知りません

 ゲーム開発者やゲームユーザーの間でどうやら「ナラティブ」という用語が使われているらしい。どうやらこの言葉はゲームプレイを通じて経験される物語的な何かを指しているようだが、少なくともこの用法は一般的な「ナラティブ(narrative)」の用法と比べるとかなり特殊な用法である。異なる話を混同させかねないという点で、「ゲームプレイを通じて経験される物語的な何か(仮)」を「ナラティブ」と呼ぶことには問題がある*1
 以上の話は既に某フクロウ先生が指摘していて(松永 2015b)、過去の話になったものだと思っていた。しかし、どうやらそうでもないらしい。先日*2Twitter(現:X)で「ナラティブとは何か」みたいな話題がいくつか投稿されていた。しかも、中には別の「ナラティブ」や“narrative”と名の付くものとこのカタカナ語のナラティブを組み合わせて議論しているものもあるようだ...。
 カタカナ語のナラティブに関して僕の立場はフクロウ先生と変わらない。それを「ナラティブ」と呼ぶのはやめた方がいいし、他の用法と結びつけて議論するのも問題があると思っている。ただ、現状そのことは十分に伝わっていないような気がする*3
 ここではカタカナ語ナラティブについて僕が常々思っていることを一から順に書き記していこうと思う。

カタカナ語のナラティブについて言いたいことざっくりまとめ

  • カタカナ語のナラティブは「ナラティブ」や“narrative”の用法としては、かなりガラパゴス的なのではないか。
  • カタカナ語のナラティブの用法がガラパゴス的であることに気がつかず、他の概念と混同して物事を考えてはいないか(あなたがきちんと区別できていたとしても周りの人は区別できているのか)。
  • 同じ言葉に複数の用法があるとややこしいので、「ナラティブ」というのをやめて別の用語を割り当てた方がいいのではないか。

2. 言葉と概念の話

 Twitterで「ナラティブ」なるものについて混乱が起きているのは、おそらく言葉と概念の対応関係があまり念頭に置かれていないからなのではないかと思う。余計なおせっかいかもしれないが、まずは言葉や概念(の対応関係)について少し説明する。

言葉と概念は一対一関係とは限らない

 大抵の概念*4にはそれを指す言葉がある。例えば、「猫」という言葉は特定の種類の動物の概念を指している。「物語」や「ナラティブ」も何らかの概念を指すのに使われる。
 ただ、この言葉と概念は常に一対一関係になっているとは限らない。ある言葉が複数の意味を持っていたり、ある概念が複数の言葉で言い表されるのはよくあることである。例えば、「夢」は寝ている時に見るイメージを指すこともあれば将来叶えたい事柄を指すこともあるし、「路面電車」と「ちんちん電車」はおおよそ同じ電車を指している。
 「ナラティブ」で混乱が起きているのは主に前者、つまり「ナラティブ」という語が文脈や分野によって異なる意味で用いられるケースがあるのがあまり意識されていないことが原因であるように思われる*5。多義的な用いられ方をする用語に遭遇した場合は、まずその用語がどのような意味で使われているのかを確認する必要があるだろう*6

その言葉が指す概念が文字通りであるとは限らない

 例えば、RPGは文字通りの意味なら「何らかの役を演じるゲーム」ということになるが、実際のRPGは必ずしも役を演じなければならないわけではないし*7、「役を演じる」を「キャラクターを操作する」と解釈しても、この場合キャラクターを操作するゲームは全てRPGということになってしまう。現状RPGは名が体を表わしているとは言えない。
 このように、ある言葉の指す概念がその言葉の文字通りの意味になっているとは限らない。ここでも上の注意を繰り返すことになるが、字面からその用語が指す概念を特定しようとするのを止め、その用語がどのような意味で使われているのか実際の用例を確認して判断するべきだ*8

3.ナラティブの用法を整理する

 ここからは他の文脈で「ナラティブ」(“narrative”)がどう使われているのを整理する。

日常語としての「ナラティブ」

 僕は普通の日本語話者なので確かなことは言えないが、おそらく“narrative”はおおよそ日本語でいう「物語」に該当し、“story”とあまり区別されていない。
 この後説明するように物語論では①出来事を表す表現と②表わされた出来事は区別されて論じされるが、“narrative”も“story”も日常語としてはそこまで区別されて用いられていないように見える(ここら辺は日本語の「物語」と似ている*9)。

物語論における「ナラティブ」

 物語論では“narrative”は一般的に物語作品ないし、一連の出来事を表すもの/こと全般を指すのに使われる。例えば、小説や映画、マンガ、演劇、ニュース報道、単に昨日起きた出来事を話すこと、etc...がnarrativeに含まれる。
 物語論ではnarrativeは①出来事を表す表現、②表わされた出来事、③出来事を表す行為に分けて議論される。日本語ではそれぞれ①「物語言説」②「物語内容」③「語り(物語行為)」と呼ばれているが、この物語内容は“story”を訳したものである。

  • 物語言説(discourse):出来事を表す表現(小説ならテキスト、映画なら映像)
  • 物語内容(story):物語言説により表わされた出来事
  • 語り(narration):物語内容を表す行為

 確かに“narrative”と“story”は区別されているが、両者は一方がもう一方の要素を指しているという関係であり、カタカナ語のナラティブでよく言われているような区別とは全然違う*10

海外の(人文系)ビデオゲーム研究における「ナラティブ」

 これに関しては「論者や文脈による」としか言えない。物語論的な専門用語として用いているケースもあれば、単に日常語と同じように素朴に用いているケースも見られる。
 とはいえ、ゲームスタディーズ成立初期(2000年代初期)にゲームを無条件にナラティブと捉えることに対し強い批判があった(ルドロジーvsナラトロジー論争のこと)ため、ある程度は慎重に用いられていると思われる*11
 海外のビデオゲーム研究では、ビデオゲームの物語的側面は “narrative”(「ナラティブ」)ではなく“fiction”(「フィクション」)という語を用いて議論されることが多い*12。「ナラティブ」が使われる場合も、“storytelling”(ストーリーを語ること)の意味で用いられるか、従来の「ナラティブ」の定義をビデオゲームにも適用できるように拡張したものがほとんどであり*13カタカナ語のような「ゲーム特有の〇〇」みたいなニュアンスは含まれていない*14

4. で、「ナラティブ」て何だよ。

 自分なりにカタカナ語のナラティブが何を意味しているのかを考えてみる。ただ、先に断っておくが「これがナラティブだ」というものはおそらく出てこない。実際のところ各々が「ナラティブ」という語を使って自分が論じたいことを指しているだけであり、決まった共通の意味があるわけではないように思われるからだ。
 なので、ナラティブの共通の意味を特定するよりは、その語がどのような意味で使われているのかを場合分けした方が有益だと思う。さらにいうなら、多義的に使われている用語をそのまま使うよりは、一つ一つに別の用語を割り当て区別した方が役に立つのではないだろうか。

A. ゲームプレイの中で有意味な出来事が創発的に生じること

 例えば、ケイティ・サレンとエリック・ジマーマンは、ビデオゲームの物語を埋め込まれた物語(embedded narrative)と創発的な物語(emergent narrative)に区別している。

埋め込まれた物語はあらかじめ生成された物語の内容であり、プレイヤーによるゲームとのインタラクションの前から存在する。ゲームの出来事と行為への動機を与えるために設計され、プレイヤーは埋め込まれた物語を物語内容として経験する。〔...〕この物語はプレイヤーのインタラクションを通じて経験されるが、形式上インタラクションとは別に存在する。(Salen and Zimmerman 2004, 383)
物語は〈創発的〉である可能性もある。これはゲームシステムとのインタラクションを支配するルールの集合から物語が生じるということである。創発的物語の要素は、埋め込まれた物語とは異なり、プレイの最中ゲームの複雑なシステムからしばしば予期せぬ方法で生じる。ゲームにおけるその時々の物語プレイは創発的である。というのも、プレイヤーの選択は予期せぬ物語経験を導くからだ。(Salen and Zimmerman 2004 , 383)

 サレンとジマーマンの言わんとするところはわかると思う。埋め込まれた物語はその内容が作者によってあらかじめ決定されているもの*15を指すのに対し、創発的な物語は、ゲームプレイで偶発的*16に生じるさまざまな出来事が何らかの点で有意味に理解されること*17を指しているのだろう*18
 いわゆる「ストーリーとナラティブの違い」でよく言われていることの一部(「ストーリーは静的でナラティブは動的」など)は、埋め込まれた物語と創発的な物語の区別と対応しているように思われる。

B. プレイヤーの行動により虚構世界の出来事が決定されること

 ゲーム世界で起きる出来事や事態の一部は、プレイヤーの行動により決定される。例えば選択肢を選ぶのもそうだし、どの順番でクエストをこなすかもそうだし、街の中で誰と話すかとか戦闘の結果勝ったり負けたりするなど、細かくあげていったらきりがないだろう。
 カタカナ語のナラティブの説明に見られる「プレイヤーの物語」の一つは、こうしたプレイヤー自身により物語内容が決定される側面を指しているように見える。
 さらにカタカナ語ナラティブの中には「プレイヤー自身が紡ぐ物語」といった風にプレイヤーを作者に近い役割に位置付けるような発言もいくつか見られる。ただ、ほとんどの作品において物語を語る(あるいは作る)ことがゲームの目的になっていない以上、プレイヤーが本当に作者に近い役割にあるかは微妙だと思う(過去記事参照)*19

C. プレイヤーが自身が虚構世界のキャラクターであると想像すること

 『ドラクエ』とかでよく言われている「主人公=自分」のあれのこと。どうやらこの意味でのナラティブは、プレイヤーがキャラクターの体験を自分自身の体験として感じたり、ゲームで生じた出来事を自分ごとのように受け取ったりすることを指しているように見える。「プレイヤーの物語」で言わんとすることのもう一つはこれを指している感じがする*20
 この意味での「プレイヤーの物語」が何なのかはあまりはっきりしていない。フクロウ先生はよくある説明として「同一化」や「没入」を挙げ、自身はプレイヤーによるゲームメカニクス上の行為が物語内容の出来事に見立てられる現象として説明している(松永 2015b)。
 ただ、ここでは別の回答として、プレイヤーが実際にそのような想像を行っているという説明を提案したい*21。確かに文字通りの意味でプレイヤーが虚構世界の人物になるのは不可能だが、例えばごっこ遊びのように、自分が虚構世界の人物でありその人物の行動を自分が行っていると想像するのは可能だと思う。
 気になるのはこのような想像(主人公=自分)が作品の受容態度として求められているのか*22、プレイの最中にそういう想像をプレイヤーがすることがあるだけなのかということである*23。例えば『ドラクエ』や『ポケモン』作品はそのような想像をするように求められている感じがする。ただ、別にそうした想像をしなければならない(そう想像しないのは正しい受容の仕方ではない)というほど強い規範ではないように思える*24
 そうではなく、プレイヤーや作品(のデザイン)によってそのような想像が引き起こされるということはあるかもしれない。ただ、子供の頃はしていたかもしれないが、今はそういう想像をほとんどしていないのでよくわからない...*25

D. ABCが混ざったもの

 これまでカタカナ語ナラティブの概念をA, B, Cの三種類に分類したが、実際はこれらをブレンドしたものがほとんどだと思う。
 ただ、これらの3者の一致に必然性はない。ゲームプレイの中で創発的に出来事が生じるからといって、それがプレイヤーの決定によるものとは限らないし、プレイヤーの手で物語内容が決定されるからといって、それによりプレイヤー自身が主人公になるとは限らない。
 実はDのような特徴はビデオゲーム固有の物語の特徴というよりは、特定のジャンルなり作品群、あるいは限定的なプレイスタイルといったもっと狭い範囲の話をしているのかもしれない(「ナラティブなゲームとそうでないゲームがある」と言われている以上当たり前と言えばそうなのかもしれないが)。

E. ゲームプレイを通じて提示される情報を組み合わせて虚構世界や虚構世界で起きた一連の出来事の全体像を構築すること

 電ファミニコゲーマーのマンガで遠藤先生が提唱しているのはこのタイプで、上の三つとは少し違う気がする(田中 2018)。
 マンガで言われていることは、プレイヤーが敵機の挙動などの断片的な情報からゲームのバックストーリー(設定)を構築しようとするということだが、この種の受容の特徴は大塚英志の「物語消費論」(大塚 2001)にかなり近いと思う*26

F. 形容動詞としての「ナラティブ」*27

 例えば「これがナラティブなゲームだ」などナラティブが形容詞動的に用いられていることがある。おおよそ上記の条件を満たした作品を指しているのだと思うが、一方でそれとは別に単にビデオゲームの物語的側面に関して肯定的な評価を下す際にも使用されているようにも見える*28

G. “narrative” の訳語

 単に“narrative”の訳語として「ナラティブ」を採用しているパターン。意外とこのパターンも多いと思う。

参考文献

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:もちろんこれは「ナラティブ」により名指されているものが存在しないだとか、重要でないということを意味しない。ただ、それを「ナラティブ」と呼ぶのはややこしいし、実際に混乱が起きているからやめた方がいいのではと言っている。

*2:「先日」というには日にちが経過し過ぎているけど、そこは気にしないでください。

*3:正直この記事を読むくらいなら松永(2015b)を読んだ方がいいと思う。

*4:概念が何かについてはそれ自体かなり難しい議題なのでここでは取り扱わない。某フクロウ先生の授業では(なかり大雑把な特徴づけとして)「〈何らかの特徴によって複数の事柄をグルーピング(カテゴライズ)して把握するための心のかまえ〉みたいなもの」と説明されていた(松永 2024)。ここでもそのようなものとして扱う。

*5:この種の混乱はビデオゲーム研究でも起きる。例えば、ゲームスタディーズ(北米の研究が中心となって設立されたゲーム研究の一分野)初期には、ゲーム(game)と物語(narrative)の関係を巡る議論があったが、立場により「物語」の意味するところが異なったため、あまり噛み合った議論にはならなかった。(ここで挙げたのはいわゆるルドロジーvsナラトロジー論争(の元になった)議論だが、その詳細はややこしいのでここでは説明しない。日本語で読める説明としては、松永(2019)、吉田(2023)、マウラ(2024)を参照。僕もどこかで書くかもしれない)。

*6:具体的にどうすればいいかは例えば次の方法が考えられる。①著者自身による定義・特徴づけを確認する、②文中に見られる実際の用法から推測する、③著者が論じている分野や文脈を参照する。

*7:少なくとも役になりきってプレイすることがRPGの正しいプレイの仕方であるとは言えないと思う。例えば、映画の倍速視聴は映画をちゃんと見たことにならない(少なくとも正しい鑑賞方法か意見が分かれる)と思うが、RPGを役になりきってプレイしないことについてそのような問題は起きないと思う。もちろん、このことは「役を演じる」というプレイングや遊び方を否定しているわけではない。

*8:なので、言葉の意味や語源から対象や概念の本質を探そうとするのはやめましょうねという話になるのだが、これ言うとなぜか「でも言葉の意味が本質を表していることもあるじゃん」的なことをよく言われる。確かにそういうケースもあるだろうが、それは「やめましょう」の反例にはならない。考えてみて欲しい。正しいかもしれないし正しくないかもしれないことを根拠に何かを主張したとして、それは筋が通った議論であると言えるだろうか。あるケースにおいては実際に言葉の意味がその対象の本質を表していることはあるかもしれないが、それを一般的には導けない以上、普通はそれが事実であることを示す別の論証が必要になるはずだ(結局、言葉の文字通りの意味のみからその対象の本質は導けない)。

*9:日本語の「物語」も場面によって①を意味することも②を意味することもあるという点で少々多義的である。

*10:論者によっては物語言説に相当する概念を指す用語として“narrative”が採用されるケースもあるが、この場合“narrative”と“story”はある対象(出来事を表すもの / こと)の異なる要素をそれぞれ指していることになり、結局、カタカナ語ナラティブのような使い分けはなされていない。

*11:逆に今でも何でもかんでも「ナラティブ」言っている議論は警戒した方がいい。もっと具体的に言うと、「ナラティブ」がどういう意味で使われているのか説明や定義がなかったり、わざわざ「ナラティブ」という語を用いる必要がない(「フィクション」でも問題なく議論できる)のに使っているタイプの議論は気を付けて読んだ方がいい。もちろん先行研究や文脈からどのような意味や理由で用いているのかわかるため省略しているケースもあるが、そうではないタイプの議論も多くみられる。

*12:ここでいう「フィクション」は「虚構世界を表すもの」を指す用語であり、フィクションの哲学が引かれて議論されることが多い。ビデオゲームの物語の研究したい学生は、まずは「フィクション」をキーワードに先行研究を探すことを強く勧める。

*13:新しい定義を作るケースでも、従来の物語メディア(小説、映画、etc...)にビデオゲームをはじめとしたニューメディアも含まれるように定義を拡張しましょうという話であり、従来と全く違う新しい概念を作ろうとしているわけではない(Ryan(2006)参照)。要は「私たちがナラティブ(物語)と考えている概念に対し、従来の定義が実態に合わなくなってきたから修正しましょう」というのが彼らの動機なのだと思う。

*14:海外のゲーム開発で“narrative”がどのように用いられているのか知らないが、僕が見たことある記事や文章では普通の意味で用いられていて、カタカナ語ナラティブのような特殊なニュアンスがあるようには思えなかった(例えば、Stone(2019)参照)。
 大抵の場合“narrative”は物語と訳して問題ないという指摘もある(松永 2015a)。

*15:一般的に「ストーリー」とか「シナリオ」と呼ばれているものがこれに相当するだろう。他にも“scripted narrative”などの呼び方もあるみたい。

*16:「偶発的に」というのは、具体的に何が起きるのかについてあらかじめ決められていないくらいの意味。ただ、少なくとも何が起きうるかのレベルでデザインは普通入っているだろう。

*17:ここでいう有意味に理解されるとは、その出来事群に物語が持つようなある種の一貫性が見出されることを指している。たぶんすぐ後にこれについての記事を書く予定。

*18:創発的な物語の説明についてはJenkins(2004)も参照。調べればもっと洗練された創発的な物語の定義や特徴づけがあるかもしれない。

*19:例えば、(編集がだいぶ入っているが)「M2の逆襲」(ひろみちと殿様 2021)みたいに、プレイヤーは普段ゲームを用いて何らかのストーリーを提示しているわけではないし、そのようにプレイすることを求められているわけでもないはず。

*20:ふくろう先生は「プレイヤーについての物語」と「プレイヤーによる物語」と呼び区別している(松永 2015b)。

*21:なんというか行為のシミュレーションという観点だけだと、キャラクターへの同一化と呼ばれているようなものをうまく説明できない気がする。

*22:「求められる」という表現でいいのかは微妙だが、要はそのように想像するのが作品の正しい鑑賞態度なのか(主人公=自分というのが作品の正しい解釈なのか)ということだ。これは最終的にはインタラクティブ性の有無の問題ではなく、作者の意図や慣習の問題であると思う(つまり他のジャンルでもありうる)。

*23:なんというか行為のシミュレーションという観点だけだと、キャラクターへの同一化と呼ばれているようなものをうまく説明できない気がする。

*24:別に『ポケモン』の主人公の名前を「さめまくら」ではなく「サトシ」にしてもいいし、自分がそのサトシであると想像してプレイする必要もないと思う。

*25:そもそもプレイヤーキャラクター=私という想像を文字通りしているのかだいぶ怪しいと思う

*26:大塚が論じている対象はビックリマンシールなど作品(商品)単位で断片的な情報を提示するものだが、断片から全体像を再構築しようとしている点で受け手が行なっている受容の仕方はかなり似ていると思う。

*27:mozukichi(2021)さんは形容動詞としてのカタカナ語ナラティブを分析している。Crieitが閉鎖した関係でこの記事も無くなってしまって悲しい(記事はInternet Archiveに残っているので読めます)。

*28:ナラティブなら必ず良いゲームになるというほど単純な話ではないと思うのだが、少なくとも「ナラティブで悪いゲーム」は聞いたことがない。




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