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古事記を歩く 身近にのこる古事記の記録① 鎧坂

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古事記とは、西暦712年に編纂された日本最古の歴史書です。
 
日本の成り立ちと日本の神様、天皇家の系譜を一般人に伝えるラノベのようなものです。
 
とんでも設定が飛び交うのでツッコミ所がおおいですが、結構具体的に地名が出て来るので、その土地に来ると親近感と神秘的な高揚感があります。
 
1300年前の書物に出てきた場所を歩く。
 
あなたがボールを追いかけるそのグラウンドを、1000年前にサムライが馬に乗って駆け抜けたと思うとロマンが広がりますよね。
 
ということで古事記に由来する土地を見つけたら少しずつ記録していこうと思います。
 
第1段は福岡県福岡市東区にある「鎧坂(よろいざか)」!
 
神功(じんぐう)皇后御出征の時、この坂で鎧(よろい)を着け給うと古代より伝わっています
 
神功皇后といういきなりマイナーキャラですが、調べてみるとなかなか濃いストーリーがありました。
 
目次

 

 

神功皇后とは

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こちらは神功皇后の絵です。
男物のような着物を着て、よく見ると刀まで携えています。おっかないね。
 
神功皇后とは、第14代天皇の仲哀(ちゅうあい)天皇の奥さんです。
 
仲哀天皇も聞いたことが無いですね。しかしこの天皇ヤマトタケルの息子になります。
 
ちょっとイメージができてきましたか?
 
この神功皇后のストーリーは、ヤマトタケル伝説のちょっと先の時代になります。
 
ヤマトタケルが攻め落としたはずの熊襲(クマソ)(熊本辺りの勢力)がまた暴れ出したので、仲哀天皇は父と同じく熊襲征伐に向かいます。
 
すると神功皇后、なんと戦争に同行することに。
 
夫の仲哀天皇に着いていきました。おっかないね。
 

神様のお告げ

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熊襲征伐のために九州までやって来た仲哀天皇神功皇后
 
戦争の占いをするために橿日宮(かしひのみや)(現在の香椎宮)というところで神託を行います。
 
そして神のお告げを聞くのですが、内容は
 
熊襲の痩せた土地を攻めても意味がないから、海を渡って金銀の沢山ある新羅を攻めるべし
 
というもの。
 
新羅とは当時の朝鮮半島の国です。
 
神様、とんでもないお告げをします。
 
熊襲とかどうでもいいから新羅行っとけ、新羅
 
お告げがあさって過ぎます。
 
今日のデート、緑のブラウスとチェックのワンピースどっち着ていったらいい?
 
って聞いたのに
 
今晩は肉じゃがにしようと思うから帰りに高橋さんとこの肉屋で小間切れ買ってきて
 
と言われるようなものです。
 
仲哀天皇も「とんでもないお告げだ」と、話を信じず、お告げを無視して熊襲に向かうのでした。
 

熊襲での敗走と征伐、そして新羅

昔話の鉄板といえば、
 
忠告を無視するとバチが当たる
 
浦島太郎はおじいさんになったし、助けた鶴は飛び立ってしまいました。
 
仲哀天皇は神のお告げを無視して熊襲へ向かいましたが、案の定ボロ負けしてしまいます。
 
そして熊襲の矢が当たってしまったのか、再び橿日宮に戻ってきますが急死してしまいます。
 
仲哀天皇は喪黒福造にドーンされてしまいました。

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すると同行していた神功皇后、夫の代わりに指揮を取ります。
 
まずは手を着けてしまった熊祖征伐を終わらすために再び熊襲へ攻めます。
 
そして1ヶ月で攻め落としてしまいます。(早い)
 
ヤマト王権に反対する勢力を滅ぼし、神功皇后が歴代で初めてヤマトを統一することができました。
 
そしてお告げも無視はしません。神功皇后は小間切れを買いに行きます。
 
神様に言われた通り、朝鮮へ向かい新羅を攻めました。
 
話が止まりますが、その新羅征伐に向かう時、この鎧坂で鎧を着けたと言われています。
 
鎧坂には伝承があり、「この坂で馬から落ちると命を落とす」と言われていたので、神功皇后は馬から降りて歩いて坂を登りました。

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緩やかに坂になっています。
 
ここで鎧を着け、朝鮮へ向かった神功皇后
 
無事神羅を征伐します。(早い)
 
が!
 
なんとさらに近隣の百済高句麗も服属し、「新羅百済高句麗」の三国を従えてしまいます。(凄い)
 
そして帰国後すぐ、現在の宇美八幡宮で男子を出産しました。(えっ?)
 
……ん?
 
ちょっと待ってください。
 
……はい。えーと、逆算すると仲哀天皇崩御される頃に身ごもっていることになりますね。
 
ちょっとまとめます。
 
神功皇后は、お腹に子供を身籠ったまま
 
夫亡きあと軍の指揮を取り、
 
夫ができなかった熊襲征伐を1ヶ月で終わらせ
 
そのまま船で海を渡り神羅を攻め
 
新羅だけじゃなくて百済高句麗まで服従させて
 
日本へ帰国後無事男子を出産しました。
 
 
……キャラクター強烈過ぎますね。
 
漫画百姓貴族の、荒川弘(鋼の錬金術師等の漫画家)を出産するとき、破水するまでトラクターに乗ってたという荒川弘の母親並に強烈です。
 
ちなみに宇美八幡宮で出産したことにより宇美(産み)という地名になり、宇美八幡宮は安産祈願の神社になったというエピソードがあります。
 

神功皇后のその後

熊襲も朝鮮も征伐し、さらに男子まで産まれた神功皇后はヤマトへ帰ります。
 
しかし、実は仲哀天皇にはすでに2人の男子がいました。
 
この2人は、神功皇后が子供を連れて帰ってくると後継者争いになるのではと待ち構えていました。
 
帰り際に察知した神功皇后は2人の男子と戦います。が、そこはもう神功皇后の圧勝です。
 
無事天皇の後継まで勝ち取ります。
 
次の天皇は自分の息子。しかし、まだ産まれて間もないので政治もできる状態ではありません。夫の仲哀天皇崩御されたので早く後継者を立てなければなりませんでした。
 
なので(?)代わりに神功皇后が政治を始めます。
 
天皇が幼く政治ができないときは、成長するまで代わりに政治を行う「摂政(せっしょう)」という役割を置きます。
 
平安時代藤原氏摂関政治が有名ですね。
 
ちなみに「関白(かんぱく)」は、天皇が成人した後も政治を補佐する役職です。
 
摂政になった神功皇后
 
次の天皇が成長するまでの代役のはずですが、その期間は69年に及びます。(?!)
 
……えーと、神功皇后の享年は100歳。亡くなるまで摂政を続けます。
 
そして新羅征伐後に産まれたあの男の子は、神功皇后の亡き後に第15代天皇、応神(おうじん)天皇として71歳で即位します。
 
ちなみに応神天皇は130歳で崩御されます。
 
……あ、うん。
 
人間って衝撃が強すぎると言葉を失いますよね。
 
ツッコむタイミングを失ってしまったのでスルーします。
 

まとめ 古事記は面白いよ!

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古事記はその由来となった地名が多く、もしかしたらあなたの近所にも点在しているかもしれません。
 
もし触れる機会があったら古事記を調べてみてください。
 
元になった古事記のストーリーを読んでみると、ネタ満載で笑える上に太古にこの地であったことに思いを馳せて神秘的な気持ちになれます。
 
いずれは古事記で1番始めにできた島と言われている淡路島か、天孫が降り立ったとされる高天原に行ってみたいです
 



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