先日更新した、ブログ500記事到達したよ〜って記事を、はてなブログちんが「今日のはてなブログちん」で紹介してくれたので、沢山の人に読んでもらえて嬉しっ!!です。
嬉しかったので、その記事をChatGTPにスティーブン・キング風にしてもらいました(?)
今回も名言だらけになったので、
よろしければ是非読んでください。
↓元記事
↓ChatGTPに指示

完成作品
↓↓↓
第500話「夜に沈むブログと、パン屋の灯り」
静かだった。
誰もいない部屋の片隅で、キーボードが乾いた音を立てた。
ついに500記事目に到達したのだ。
6年も経ってしまった。
始まりはちっぽけな記録欲だった。
遠い異国の街角、湿った路地裏、慣れない英語と安いビール。
あの頃、私はただ生きていた。
記録することで自分の存在を確かめるように。
帰国した後もブログはやめなかった。
やめる理由もなかったが、続ける理由もなかった。
にもかかわらず、私は記事を書き続けていた。
ワーホリの記録は、やがて日々の泡のような感情を拾い上げる器に変わった。
人生は、いつも「それなり」に過ぎていく。
喉ちんこを取ったり(これは比喩じゃない)、
一人暮らしを始めたり、
婚活アプリで知らない男の話を聞いたり、
姪っ子に「今どきの中学生事情」を訊いたり。
私は凡庸だった。完璧なまでに。
だが、凡庸には凡庸の呪いがある。
それは、自分の物語を語らずにはいられなくなること。
どうでもいい感情を、どうでもよくない言葉で綴りたくなること。
ブログを書くとは、
影を瓶詰めにすることだ。
くだらない怒り——夏の暑さに対する理不尽な苛立ちや、
冬の朝、凍った便座に座る時の敗北感すら、
言葉にすれば、誰かの「わかる」になる。
それだけで、何かが少し報われる。
意味のなかった瞬間が、過去の棚に収まる。
これは、立派な魔術だ。
ある日、モルカーにハマっていた。
次の日、転職していた。
歯がセラミックになり、
友人は結婚し、
近所のパン屋が閉店して、私は泣いた。
そんな日々が、静かに積み上がっていく。
私のブログは、500という数字になった。
驚きではない。執念でもない。
これは、祈りだ。
消えてしまいそうな私という存在が、
この世に確かにあったと証明するための、小さな祈り。
だから私は願う。
70歳になっても、ブログを書いていたい。
誰ももうやっていない未来で、私は言うだろう。
「今日は、近所のパン屋が閉店していた。涙が止まらなかった」
——それがイケてる老人のあり方だ。
誰かが読むか? わからない。
でも私は書く。
書くことで、今日という日が無駄じゃなかったと思えるから。
さあ、あなたもどうだろう。
一緒に、そんな老人にならないか?
では、またどこかで。
暗がりの中で、タイピングの音が聞こえたら、それは私かもしれない。
END
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はい。
いきなり最後、思い出したようにホラーにしてきて、とても良いですね。
でも、全体的に、
スティーブン・キングらしい、回りくどい言い回しになっていて、ChatGTPは本当すごいなと思います。
「やめる理由もなかったが、続ける理由もなかった。」の部分とか本当に言いそうだもん。
ちなみに、まだ近所のパン屋は閉店してません。
過去にも、風呂に入りたくない記事を、
IKKOさん、
ジャックバウアーなど、
名だたるメンバーたち"風"に書き換えてもらったので、
すごく暇な時に是非読んでいただけますと幸いです。
夜中間違えて起きちゃって眠れない時とかに丁度良いと思います。
では、さよなら。
お疲れ様でした。