
『「はだしのゲン」創作の真実』 著者:大村克己(写真家) 2013年11月25日(中央公論市 新社)
大村氏は2013年3月に所沢の中沢邸を訪ねました。妻のミサヨ氏に会うのは初めてとのこと、「中沢作品のすべてを知り尽くしている奥様から、自分が読んだ印象的なシ ーンのエピソードを聞けるというのは、とても贅沢な時間でした。・・」
そして、訪問目的の「中沢先生の追悼本を創らせていただきたいのです」との申し出に、本の制作にあたって、奥様から出された条件はただ一つでした。
「大村さん、あなたが著者であるならば、いいですよ。 それは、自分自身は中沢啓治という漫画家の妻であり表現者として表に出ることをよしとしない、という強い意志でもあったのだと思います。・・この約束が守れないときは、私の考えている本が世に出ることはないと感じました。」(エピローグ 192頁~193頁より)
<『「はだしのゲン」創作の真実』構成>
⓵ 扉の2頁~8頁は写真集(「中沢啓治―思い出の写真」)
両親との写真、 34歳時「週刊少年ジャンプ」に『はだしのゲン』を連載開始、 38歳時「文化評論」に『ゲン』を連載、 原画や原画展の様子、 晩年の様子など、美しい写真集です。
⓶ 目次(インタビュー編)
第1章「はだしのゲン」初代担当編集者の証言(元「週刊ジャンプ」編集者・山路則 隆氏)
第2章 人生の伴走者、妻・中澤ミサヨ氏の証言
第3章 中沢啓治全作品の寄贈を受けて(広島平和記念資料館前館長・前田耕一郎氏)
⓷(特別収録編)
(1)「はだしのゲン」第2部の草稿 (最後の頁までセリフがふってあり、ところどころに絵のポイントがメモ書きしてあります。)
中沢さんの構成では、*「はだしのゲン」第1部「原爆編」<ゲンが被曝してから妹が亡くなるまで> *第2部「戦後編」<ゲンが看板屋での修業を経て東京に旅立つ> *第3部<それ以降を書く予定>を構想していました(わたしの遺書より)
(2)「黒い雨にうたれて」 作品(157~186頁 中沢さんの原点です)
「母親の死で広島からの夜行列車で東京に戻り一睡もせず、白い破片が点々しているだけの骨をみて、「おふくろの骨を返せ!!」、「絶対に許さんぞ!!」と心の中で叫んでいました」
「エレージ(哀歌)ではだめなのです。絶対に怒りなのです」
(中沢さんは日本政府だろうが米国政府だろうが、戦争と原爆の責任を追及してやる、漫画の中で徹底的に闘ってやる!!と覚悟を決めました。普段は短編に1ヶ月かかっていたようですが、1週間で原爆漫画第一作となる「黒い雨にうたれて」を書き上げたのです。ストーリーは被曝した青年が悪徳米国人だけを狙った殺し屋となる復讐劇です。最後の頁の1コマにメッセージが書いてあります。

★中沢さんの情熱をささえていたのは、「ふまれても ふまれても たくましい芽を出す麦のようになれ」と、父親がよく話していたこと。そして原爆投下への怒りです。その思いが好きな漫画で描くという形で実現しました。中沢さんは、「『はだしのゲン』は、わたしの遺書です。わたしが伝えたいことは、すべてあの中に込めました。」
中沢さんの願いは、映画化、アニメ化し、20ヵ国語ほどの翻訳で各国に広がっていきました。世界での戦争や紛争で脅かされる大人、そして子供たちにも、これからも読み継がれていくと思います。(長文を読んでいただきまして、ありがとうございました)