アメリカの小学校に子供が通い始め、最初に衝撃を受けたのは、「教科書がない」ことだった。日本には国の検定を受けた教科書があり、国によって「教育の正解」が定められている。一方で、アメリカでは全国共通の教科書がなく、何をどのように教えるかは州や学区、そして家庭の価値観にさえ委ねられている。その自由度に初めは驚かされたが、「何を正しいとするか」は宗教観とも深く結びついており、それを国が一律で定めること自体が、アメリカ合衆国的ではないのだと理解するようになった。
この教育の自由度は、「選択肢の多さ」、「多様な価値観の育成」、そして「解放」につながると想像されるが、必ずしもそうではないことをタラ・ウェストーバーの回顧録『Educated (邦題:エデュケーション)』は描いている。
筆者タラ・ウェストーバーは、狂信的なモルモン教信者であり、強烈な反政府思想をもつ父親のもとで育てられる。母は、ハーブやオイルなどを利用した民間療法に傾倒し、家族は大けがを負おうとも医者にかかることはなく、身体的にも精神的にも傷が残る過酷な環境で幼少期を過ごす。タラは17歳まで正規の学校教育を受けることは許されなかったが、自らの意思でモルモン教系のユタ州の大学に進学し、はてはイギリスのケンブリッジ大学に留学し、そこで博士号を取得するに至る。そこだけ切り出せば本書は典型的なサクセスストーリーであるが、本書に一般的な成功譚の爽快感は漂わない。
筆者は、類まれな学問への探求心に基づき、新しく拓かれた世界で自分の価値観をアップデートしていく。が、直面した最大の困難は、知識を得ることではなく、「自分が学んだことを信じること」と「家族との絆を保つこと」が両立しなくなる点にあった。彼女が学んだ世界観は、どうやっても狂信的で反政府的な両親の世界観と交わることはなかった。さらに彼女を苦しめるのは、両親のタラへの愛情だ。その愛情がゆえに、大学教育に毒され、ルシファー(悪魔)に囚われた娘(彼らの目にはそう写る)を両親が何度か救いに来る。自分が外の世界で学んだ自分にとっての真実と、両親の作った真実の間で揺れ動く筆者の葛藤が後半部分のハイライトだ。
彼女が教育を通じて得たのは、事実や理論以上に、「何を現実として信じるかを自分で判断する力」だ。生々しく描かれる、葛藤とその力を得ていく過程に、私は強く引きこまれていった。
私自身も、新卒から外資系企業に勤め、アメリカという全く新しい環境に家族で身を投じ、自分が囚われてきた社会通念や常識が揺らぐ経験を何度もしてきた。そして、今もなお、株主至上主義の資本主義社会のような「誰かが作った物語」に囚われながらも、何を信じるべきか模索し続けている。そんな現在進行形の葛藤と筆者の物語を重ね合わせ、自分ごととして感じたからこそ、本書に引きこまれたのだろう。
原題が 『Educated』 であることも印象的だ。筆者が最終的に選んだのは、「正しい側」ではなく、「自分の判断と培った知識を信じる側」だった。教育とは、検定された教科書の内容を覚えることでもなければ、教えられた通り進化論を肯定したり否定したりすることではなく、誰かの描いた物語の中から、自分の物語を構築し、それを信じる力を得ることなのだ。それが『Educated』の果てに筆者が達した場所なのだろう。