以前、PIPに入れた私の部下が医師の診断書をとり、傷病休暇を取得したという話をした。結局、彼は4ヶ月半の傷病休暇後に辞表を提出した。退職届けを受けた人事の担当がにこやかな絵文字とともに
Sooooo glad he went this route, rather than returning to a situation that was not going to end well for him.
あぁ、彼がこっちの選択をしてくれて本当に良かった。戻ってきたところで結局彼にとって良い結果にはならかったからね。
と興奮を隠しきれないSlackを送ってきた。Soの「O」の多さが、人事担当の安堵を表している。忙しい年度末に人事と上司を巻き込んでしまい、痛恨の極みであった。
元をたどるとリストラリストにのせるべきところを下記の事情から手心を加えたため、この面倒が始まった。
“通告を受けた日に失職すると医療保険が失われる。特に彼は子供が5人もいて、そのうちの一人は病気がちで通院をしている。医療費が天文学的に高いカリフォルニアで、医療保険がないのはかなりきつい。”
外資の人事制度PIPでやらかした話
だが、自分の失敗を棚にあげてあえて言わせてもらえば、これは健康保険制度が社会のセーフティネットとして機能しておらず、健康保険を労働市場で勝ち取らないといけないアメリカ社会の問題でもある。
ご存知の通り、アメリカは日本と異なり国民皆保険制度がない。なので、約6割の人は勤め先の企業経由で民間の健康保険を購入する。即ち、大部分の健康保険は、行政からではなく、労働市場を通じて提供されるのだ。
転職をする際に年収は最も重要な要素の一つだ。が、アメリカの場合は、それと同様にどんな健康保険を転職先が提供するかも、年収と同じように重要な要素であることを私はアメリカで転職をして知ることなった。
前職では月5万円でそこそこの保険に入れたが、今の会社では同等の保険に加入するためには月15万円もかかる。差額が大きいので、今は安めの月7万円のプランを選んでいる。アメリカでは医療費のリスクは個人で引き受けなければならないのが現状だ。
最近、ナンシー・フレイザーという社会哲学者の『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』という本を読んだ。
アメリカの資本主義は、単なる経済システムという垣根を超え、社会システムとして組み込まれており、様々な問題を起こしていると、現代資本主義を批判的に論じている。
アメリカの健康保険制度はその典型的な例であろう。本来なら公共で守られるべき“健康”が、労働市場に組み込まれることで、”健康”がお金で買う対象となってしまっている。これは単なる制度の不備ではなく、資本主義が社会システムとして社会の奥底まで根ざしていることの証だ。
アメリカでは「労働市場に参加していないと、健康や老後の保障すら危うくなる」という構造がある。それでも多くの人、特に工場労働者のひとたちがトランプ政権を指示し、「小さな政府」を求め、市場原理を重視する方向に舵をきっている。今回の部下の退職を通じて、その危うさが改めて浮き彫りになった気がした。
「政府は手を引け」と叫ぶ声がある一方で、その結果としてセーフティネットが縮小している現実に、どれだけの人が気づいているのだろうか。特に、移民や女性の社会進出などの変化によって労働市場で不利な立場に立たされた人々こそ、その影響をもろに受けるのではないか。
アメリカ社会は、個人の“自由”を何よりも重んじる。しかし、その“自由”の名のもとに、多くのリスクは個人に委ねられる。私のような移民は、はなから大きなリスクを抱えたチャレンジャーで、アメリカの厳しい「自由」と「自己責任」の境界線を走り抜けて、今がある。既に「自己責任」の重さに押しつぶされている層が、「政府の介入を減らすべきだ」と叫んでいることに不思議さを感じてしまう(それがアメリカの保守であることはわかっているが)。
「かつてはもっと報われていたはずだ!」という彼らの訴えは、皮肉にも「もっと報われない」未来へと自らを導いている。だが、それが彼らの選び取った自由であり、それすらも尊重するのがこの国なのだ。