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コメント

 コメント一覧 (3)

    • 1. いち愛読者
    • 2020年06月11日 20:50
    • はじめまして。50過ぎて登山を始め、主に近所の低山ばかり、未だ二年ほどの入門者です。色々と参考にさせて貰っています。

      さて、「社会的」の反語のひとつに、私は「非社会的」を加えたいと思います。
      登山産業を通じて経済貢献しているので社会的であるとの論もありましょうが、一方で、厭世・逃避・孤独・・・山に行くことで一時的にでもそれを実現したような気になるとすればそれが登山の動機の一つにもなり、すなわち、「非社会的」行為と言われる側面をも登山は有していると思います。

      一方、より積極的・攻撃的?に既存社会に損害を与える事を目的とした行為に対して、私は「反社会的」という言葉にその意味を与えたいです。(回りくどい表現ですね)

      covid19で救急・医療現場が崩壊の危機にある事を認識していながら、勝手な理屈を付けて遭難の危険がある登山に出掛ける事が、「反社会的」だと批難されるのは、私は当然のことと思います。「そういう時に限って遭難するもの」とは、まったく同感です。
      そういう状況にないとき、社会も遭難者に対処する余裕を有するときに山に登って、仮に遭難、救助され、沢山の税金を原資とするサービスの厄介になったとして、果たしてそれを反社会的とまで言うのかは、疑問です。
      勿論、碌な知識・装備も無しに山に入り遭難する輩や救助者に「来るのが遅い」だのクレームを垂れる輩、救助されるのが当然だ等と吐く輩は問題外です。彼らは反社会的と言うよりは、社会を理解する能力のない者、「子供」と言えば、子供に失礼ですかね。
    • 2. いち愛読者
    • 2020年06月11日 20:51
    • つづきです。
      それから、少なくとも私は”登山業者”に経済的に貢献するために登山を続けるのではありません。必要と思うものを購入することで結果的に(嫌々)貢献させられているに過ぎません。だから自分の登山を社会的行為とは微塵も思いません。専ら自分の快楽のために登ります。その点、(こんな言葉を使って申し訳ないですが)自慰と何ら変わりません。お遊戯です。

      あと、社会は金銭・経済でのみ定義づけられるものではない、と思いたい…ですね。
      誰かをよろこばせる、幸福にする、誰かの役に立つ…ことが社会参加だとすると、寧ろ、金銭はそれを妨害する要素である、と思いたい…ですね。
      実際には宗教者でさえがっちり経済に組み込まれてしまって、何とも遣る瀬無い気がします。
    • 3. じょあ じょあ
    • 2020年06月11日 22:11
    • >>いち愛読者さん
      ご丁寧なコメントとご愛読ありがとうございます。
      たしかに反社会的より非社会的という言葉の方が良いですね。
      いち愛読者さんの言葉をお借りすれば、この記事では登山の動機は非社会的ということになりますでしょうか。確かにそのほうがしっくり来ますね。非社会的故に、行きすぎると反社会的な行為に至る輩がいるということでしょうか。

      あと登山業界に貢献するために登山をしてないというのは皆さん同じで、このブログでも登山の動機は社会的ではないと言っている通りになります。ケニア山のイタリア兵と同じですね。現代社会では結果的に経済に組み込まれているという結論に持っていっておりますが…。

      社会=経済というのはあくまで簡略に「社会的存在」という言葉を引用したために生まれた構図ですので、倫理的な概念、あると思います。

      深くお読みいただきありがとうございます。大変参考になりました。



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