本記事では、Kenneth Arrow, 1973, "Social Responsibility and Economic Efficiency"という記事を紹介する。本記事作成にあたってはネットに落ちてたこのPDFを使わせてもらった(画素が粗くて読みにくかった…)。ケネス・アローは言わずと知れた20世紀最大の経済学者の1人だが、この論文はビジネス倫理をテーマにしたもので、数式は一切出てこない。ヒースも言っているが、「市場の失敗アプローチ」の基本的な発想がいかに広く見られるものか、パレート効率性からいかにして倫理的責務を導出できるか、の例証となっており面白い。
なお要約はいつも通り雑である。見出しは筆者が勝手につけた。間違っている箇所などあれば教えてほしい。
- はじめに(pp. 300-301)
- 利潤追求と社会的責任(pp. 301-305)
- 市場の失敗(pp. 305-309)
- 経済主体に責務を課す方法(pp. 309-310)
- 規制、課税、法的責任(pp. 310-313)
- 倫理規範(pp. 313-317)
はじめに(pp. 300-301)
- 本稿では、経済主体は経済活動において他の主体に対しなんらかの責任を持つ、という考えを検討する。
- 具体的には次のような問題を扱う。
- 企業が利潤追求を控えることを期待するのが理に適っているのはどんな場合か?
- どんな制度が利潤追求を制限する装置として機能するのか?
- 倫理規範が発生すると期待できるか?
利潤追求と社会的責任(pp. 301-305)
- 企業の経済活動は様々な仕方で他の主体に影響を与え得るので、それに応じて社会的責任は様々な形をとり得る。
- 企業の社会的責任に反対する議論がある。それによれば、企業は利潤最大化のみを目的とすべきである。なぜなら、適切な条件下において利潤最大化は効率的な結果をもたらすからだ。
- もちろん、この議論には次のような留保がつけられている。
- 競争の力が十分強く働いている(独占・寡占になっていない)という想定が必要。
- 効率的だとしても所得分配は不平等になり得る。
- 利潤最大化は利他的動機(利己的動機と同程度に正当なもの)を損なうかもしれない*1。
市場の失敗(pp. 305-309)
- とはいえ以上の留保を脇に置けば、利潤最大化は効率性を促進する以上、基本的には社会的に望ましいと言える。
- だがこうした効率性からの利潤最大化擁護論は、市場の失敗が存在する場合には適用できない。ここでは2つの種類の市場の失敗を取り上げよう。
- 負の外部性:汚染や混雑など。各主体は、自身の課しているコストを十分に支払わなくてよい場合、それを控えるインセンティブを持たず、望ましい水準を超えた汚染や混雑を引き起こしてしまう。
- 情報の非対称性:商品などの品質について、売り手が買い手よりも多くの情報を持っている場合、市場が成立しなくなることがある。中古車や新薬などの財だけでなく、労働条件にも当てはまる問題。
- 制約なき利潤最大化を擁護する論者は、消費者が製品の情報をよく知っていると想定しがちだが、これは非現実的。例えば、商品が絶えずアップデートされる場合、繰り返しの経験からの学習はあまり役に立たない。
- こうした場合、企業はなんらかの社会的責任の感覚を持つことが望ましい。
経済主体に責務を課す方法(pp. 309-310)
- そのような責任・責務を制度化する方法は複数ある。
- 最も分かりやすいのは法律(legal code)。企業に対して、何が正しい行為かを教え、ときに実効化する。また全ての企業に責務を遵守させることで、責務を守った企業が競合相手に負けないようにすることができる。
- 法律以外の選択肢として考えられるのは次の4つ。
- 規制
- 課税
- 法的責任(legal liability)
- 倫理規範(ethical code)
- 以下ではこの4つの選択肢の強みと弱みを考える。
規制、課税、法的責任(pp. 310-313)
- 規制:様々な状況に対応できるほど柔軟にするのも、実効化が容易なほど単純にするのも難しい*2。新規の状況に対応できない。
- 課税:規制よりは柔軟。汚染の場合は課税が最適な手段。企業は税負担を最小化するためにどんな手段を使ってもよい。だが製品の安全性確保などの場合には適さない。
- 法的責任*3:製品が欠陥を持つにもかかわらず黙ってそれを売り、結果事故が発生すれば、責任は企業側にあると考えるのが自然。だがそれを立証するのは難しい。そこで立証責任を企業側に課し、新製品が安全なことを証明させるというやり方がとれる。
- だが欠点も多い。まず、製品の欠陥のコストを負う消費者は分散しているので、どの個別の消費者も訴訟コストを負おうという気にならないだろう。
- また、事故は通常様々な要因によって生じる。子どもがプラスチックバッグを誤用して深刻な状態になったとして、メーカーに責任を問おうとする人はいないだろうが、誤用の可能性があるのに警告していないならメーカーにも少しは責任を問うべきだ、と考える人はいる。そのような微妙さを扱うのが難しい。
- 保険と相性が悪い。例えば自動車事故だと、人々は事故が起きれば保険によって損失分を補償されるため、責任ある人に被害分の額を課そうとする試みがとられなくなる。
- 問題が継続的に生じる場合には適さない。例えば工場汚染の場合は課税の方がはるかに効率的。
倫理規範(pp. 313-317)
- 倫理規範は一般に、情報の非対称性が大きい状況で効率性を高める。
- これは医療職をはじめとする専門職において職業倫理が果たす役割を考えれば明らか。職業倫理があることで、買い手はそれを前提に専門職サービスについて判断できる。売り手は、そもそも買い手からきちんとしたサービスを提供すると信頼されていなければサービスを売ることができないが、職業倫理はそのような信頼を生み出す保証として働く。そのため職業倫理は売り手にも買い手にも便益をもたらす。
- 注意深く見れば、日常生活・経済生活の大部分は、こうした倫理規範を前提としている。単純な財の取引や列に並ぶといった基本的なインタラクションすら信頼を不可欠な要素としており、当事者による一定の倫理的コミットメントを前提としている。
- 商品の品質に関しては、あらゆる情報を開示して消費者に選択させるより、最低限の〔自主的な〕品質基準を設けた方が効率が改善する場合がある。
- ここまでは、倫理規範の存在が望ましいという議論だった。では、倫理規範はどうすれば成立するのだろうか。
- そのためには 最低限、それを受け入れることが相互に利益になると認知される必要があるだろう。
- より具体的には、開かれた場(立法府、講演、雑誌など)での議論で長いプロセスを経て成立するかもしれない。あるいは、名声ある集団が倫理規範について議論することで成立するかもしれない。
- では、こうした倫理規範を安定的に存続させるにはどうすればよいのだろうか。
- 結局、規範はシステムの維持を可能にし相互に便益をもたらすが、個別主体にとっては規範を破る方が得になる。
- とはいえ倫理規範が発展し安定する可能性はある。政府機関、商業団体、消費者保護団体などの制度的サポートによって倫理が明示化され、繰り返し教えられることで、可能となるかもしれない。
- 現代経済が大企業によって構成されていることはプラスに働くかもしれない。大企業では力が分散し、意思決定に関わる人が多くなり、また企業に完全に同一化するほど帰属意識を持つ人は少ない。そのため、規範への違反をチェックする動機づけを持った人がいると考えられる。ペンタゴンペーパーズ事件*4が示すように、大規模な官僚組織内でも良心から内部告発する人は存在し、それは大企業にも言えるだろう。
- さらに倫理規範を遵守している企業は、競合相手にも規範を遵守させようとプレッシャーをかけるはずだ。
- とはいえ倫理規範を万能の道具のように見なしてはならない。
- 人間の本性が劇的に変化すると想定すべきではない。現実的に考えれば倫理規範の役割は限定的。他の手段すべてに対する代替となったりはしない。
- また倫理規範の適用が適切な状況も限られている。倫理規範が効率性を高めるのは情報の非対称性がある場合。消費者が製品の品質に関して十分な情報を持つなら、企業が勝手に倫理的基準を定めるよりも、消費者が(高価格高品質か低価格低品質かを)選択できた方がいいだろう。
*1:この議論は利潤追求と自己利益追求を重ねているように見えてやや首を傾げたが、倫理動機のクラウディング・アウトの問題を先取りしているとは言えるかもしれない
*2:この短い論文に要求すべきことではないが、実際の規制プロセスは裁量をかなり含んだ柔軟なものだろうから、そこらへんもきちんと検討してみてほしかった気はする。他の手段より柔軟性に欠くというのはその通りだろうが。
*3:ここらへんは自信がない。
*4:1971年、ベトナム戦争に関する機密文書が新聞で暴露された事件。時代が感じられて趣深い。ちなみにこの機密文書を新聞に持ち込んだダニエル・エルズバーグはあの「エルズバーグのパラドクス」の人らしい。