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海賊とよばれた男 感想

 Wake Up, Girls!という物語を再編する。

 これが私の人生の目標であり、本懐である。

 WUGが歩んできた軌跡を数十年後に辿った時に、まるで自分が遺した文章が全て真実であったかのように、歴史を上書きし伝説として刻む。そう意気込み、毎年年末恒例の何か認めるイベントで文章を書いていて、最近、限界を感じていた。自分は手癖で感想と体験の羅列を書くことはできても、フィクションの中で説得力のある登場人物と、綿密な描写、面白い小説に不可欠なそれらを描く技術がない。痛感した。何かを変えなくては。

 そこで今年は沢山インプットしようと思った。受動的インプットではなく能動的インプット。本懐という到達地点から逆算し、既存文章から貰えるものを貰う期間。

 さてまず何を読むかと考えた時、歴史をまるで自分の目で見てきたかのように描き、主人公をあまりに魅力的にすることに定評がある作家と言えばと浮かんだのは司馬遼太郎百田尚樹だった。

 読書に避ける時間が限られている今、司馬史観にどっぷり浸っている余裕はないと判断し、選ばれたのは百田尚樹。検索して永遠のゼロ(既読)の次にレコメンドされたのを読むことにした。前情報は無し。この本から事実を魅力的なフィクションに転換する技法を一つでも盗もう、ついでに語彙も増やそう。この目的意識を念頭に置いて読み進めることを決めた。

 それが今回読んだ海賊とよばれた男である。

 裏テーマをもって読み進めることを決めたが、しかし流石というかあまりに面白く、息つく間もない展開と魅力溢れる主人公に魅せられて、本来の目的を忘れ、普通に受動的に楽しんでしまっている自分がいた。恐ろしい本。

 単純な勉強のために知らない単語や表現に出会ったらTwitterの下書きにメモするというのをやっていたのだが、その単語の羅列だけでこの小説と特定できそうだったのは面白かった。一つ前に推し燃ゆを読んでいた時に思っていたのだが、平易な言葉や表現は、必ずしも表現の自由度を制約するものでもないらしい。改めて、小説における語彙で大切なのは世界観への説得力だなと感じた。

 メモのコピペだが襟度、僥倖、焦眉、馘首、金科玉条、喫む、至誠天に通じる、干天の慈雨、蛇蝎、斟酌、雌伏、進取の気性、長じて、俊秀、遇する、油井、高邁、雄飛、金城湯池、凭れる、股肱、畢竟欣喜雀躍、澎湃、旗幟、傭船、倦み疲れる、戴冠式、紀文、俯仰天地に、芳情、意気軒昂、禍福は糾える縄の如し、裂帛、遥拝

 主人公は明治生まれ、武士の魂を持ち、日本の未来を発展させる信念を持ち合わせている。これらの表現はそういう時代背景や人物が使って然るべきものだと思う。逆に言えば、自分が表現したい世界観では、どういう言葉を充てるべきなのか。堅苦しい単語を使うことではなく、大切なのは世界観や登場人物への解像度の高さなのかもしれないというのが、気付きである。次に読むべきは、時代背景がWUGと重なる、アイドルあるいはエンタメ系の業界を舞台にした作品(朝井リョウの武道館みたいな)かもなあと、早速次について考えを巡らせている。

 さて本小説の話に戻ろう。

 興味深いなあと思ったのが話の構成。本作は、よくある春夏秋冬の4章構成なのだが、時系列でいうと夏→春→秋→冬になる。大河ドラマや多くの歴史小説がそうであるように時系列順に描かれるものだと思っていたので興味深かった。夏が漫画やアニメには割とありがちな所謂過去編にあたるわけで、物語全体を通して主人公國岡鐵蔵の生涯を描いている。特にこのギミックによる物語的感動はなかったので、今をもってしてもなぜこの順にしたのだろうかと思わなくもない。しかし、物語の最初に國岡商店の店主として大きな問題に立ち向かう姿を見せて、この男は一体今までどういう人生を歩んできたのだろうか、國岡商店とはどういう商売をしていたのかという好奇心を読者にもたせた上で、さて出自を描く、というのも技法として良いのかもしれない。

 本作はとどのつまり國岡鐵蔵という人間の伝記であるのだが、読んでいる最中に流石にフィクションが過ぎるだろうと検索してみると当然のようにモデルがいて、Wikipediaのみの情報から判断すると作中に起こった事件の全てが実際に起こっていたことだった。事実は小説より奇なりという奴なのか、いや小説なんだが。一民間企業がイランやソ連と国家を介さず取引していたという事実は誠に信じがたい。

 すべて物語というものは構成がA(人物)→X(イベント)→A'(人物が変化)なわけで、この作品も例に漏れず、基本構成は國岡、ないしその関連人物の前に問題が発生し、それを解決して一段成長していくという、ただそれの連続に過ぎないと言ってしまえばそうなんだが。

 それでいてこんなにも面白く感じた理由は、やはり時代にあるのだと思う。

 乱世は英雄を生むというが、まさに國岡鐵蔵の生きたのは、戦乱から復興という激動の時代。國岡に限らずその時代に生きた多くの人間が、どう生きるかを問われていた。

 晩年、國岡が「石油の時代は確かに来た。石油で人々の暮らしは目覚ましく豊かになった。しかし、それで本当によかったのだろうか。」というような言葉を自問していたのが印象に残った。

 時は途切れることなく、今この豊かで平和な日常も、あの戦乱の世と連続して存在している。にわかには信じがたい。想像がつかない。本当にそんな時代があって、そこに生きた、あるいは死んでいった人たちがいることを。逆もまた然り。当時、祖国の再興に邁進した人たちは、今の世の中を見て何を想うのだろうか。

 小説の最後は國岡の淡々とした最期だった。これもひとつの発見だった。物語の結びは必ずしも最高速度で終わるわけではない。減速し、静かに締めても良いのだ。さながら人の一生のように。

 今回は歴史小説という観点で読んでいったが、一会社員として、あるいは今を担う日本人として、多くのことに気付き考えさせられる、大変面白い文学だった。




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