以前、金剛経でいう「無 我 相」の中心は無ですか?
と聞かれた。
どういう意味で言っているのかわからなかったが無我相に中心的存在はない。
無の裏に常に我と相(現世)がある。
それがないなら偽物だ。
同時に相の裏に無と我とがある。
我の裏には同じように相と無がある。
これらは相即だ。
どれが中心などというのはない。
そもそも中心ってなんだ?
尋ねた人に逆に聞いてみたかったが「そんなのはないと思います」とだけ言っておいた。
あえて言うならどれが表であるかだが、固定したものなどない。
無我相なら「無我の相」だがレ点次第で「我に相(すがた)なし」
「相(存在)に我なし」とも読める。
その理解が大事だと思っている。
天台の空 仮 中の三転読みと同じだ。
無我相の無と空は同じか?とも聞かれたが「無我相」自体が空をいうものなのだ。
無も空 我も空 相も空
無も我も相もいづれも存在ではない。概念であり、それらはいずれも空だ。
そこに区別はない。