時々。他の霊山の祈祷札だとかお守りとくれるかがいるけど、うちも一応霊場なのにねと笑える。
あまりにちっぽけで小さい寺なのでそうおもわれてなかったのかも。(笑)
くださるのも信仰している霊山のおみやげならわかる。
例えば大峰山寺の九重の巻とか。熊野三山のお札や牛王宝印といった古来、そのやまにしかないものなら気が利いているといえよう。
ただし、これらは修験道の根本霊場であり、宗派を上げて尊崇している山だからこそありがたいのだ。
だが、縁もゆかりもないお寺や神社のお札お守りよりは、どうせなら御菓子だの名物の漬物の方がはるかに良い。
昨今はどこも同じようなものだから全くほしくもないが。
それもしばらくお供えしたら結局明けもしないでゴミ箱に入れてしまうことが多い。
名物に旨い物なしというではないか。観光地で観光客相手につくっている粗悪な菓子など健康上口に入れたくない。
無駄になるからいらない。
以前、どこかにお参りするごとにどっさり色々くれる信者さんがいて閉口した。
あまりに頻繁に届けてくれるので、失礼ながらハッキリ「そんなものを毎度、寺に持ってきちゃだめだ。なにも欲しくもない。一切持ってくるな。」と注意した。
こういう人は多分親しい知り合いにも事あるごとにそうしているのだろう。
私に言わせれば信仰に一本筋がとおっていない人間のすることだ。
スピ系のパワースポット巡りが好きな人にありがちだが、私はそれ自体がもう信仰から外れている考えだなと思う。
もちろん、物見遊山自体をとがめる気はない。
それは日本人の歴史的な娯楽だ。
〇〇神社に行きたい、〇〇様にいってみたいレベルは大いに結構だ。
私もそういうところは多々ある。
だがそこの宗教的なものを記念品みたいにいちいち持ち帰るのはよろしくない。
この間も参拝の方からあるお山のものをいただいたが、「困ったものだ・・・この人わかっていないわ。」と思ったが
まあ、心をくんで「あら そうですか。それはありがとうございます!」でとどめて置いた。
ハッキリいってそこんとこの考え、信仰的にはいただけない。
この方はある阿闍梨さんのしたで見習い中の方だから、門外漢の私がそこまでうるさいことをいうのも筋違いなので黙っておいたが、この分では遠からず匙投げられるのではなかろうか・・・・わかっていないのは困ったことだ。