「明日は第6回目の抗癌剤です。
副反応が少々厳しい日もありましたが転移してる腋窩リンパ節は明らかに縮小しています。
明日も十一面観音様・馬頭観音様・飯縄権現様の香合仏を側に置き、ご真言を唱えさせていただきながら抗癌剤治療いたします。
自宅の聖天様の御札に自作の干し柿をお供えし御真言を唱えさせていただきます。
合掌」
お寺は焼けてもこうした験があるのも不思議に思うかもしれないないが、人ひとりひとりの因縁は違うからそれはそうなるのだ。むろん薬の進歩もあるだろうし。
私がしているのは仏と皆さんとの縁つなぎだ。他には何もできない。
このように癌が小さく治っていくのは私の力ではない。つないだその人と仏とのエニシが生むことだ。
だからこそ個々の信仰が大事なのだ。
だから私の寺や私がどうなろうとそこは関係ない。同じ祈祷をしても同じ結果は出ない。皆因縁が違うから。
私は一個の人間としての私の因縁を免れないものもある。
実際は免れないもののほうがなんとかなるものよりもはるかに多い。
不昧因果。
御仏の前には私もただ業の力に転じられている愚痴の衆生、無力な凡夫にすぎぬ、