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小説「呪師」其の弐拾六  最終話

命婦の髪の毛をさっそく、久光に届けた。

「首尾は」「うまく行きました。」

「これに」半紙にくるんだ髪の毛一筋をわたした。

 

久光は奥の部屋に一尺三寸(45センチ)ほどもある藁人形を用意していた。

命婦の髪の毛を藁人形にしのばせると、人形の上に日の丸に烏を書いた絵を括り付けた。

 

「これ一体?」

 

「これは熊野権現の御使いヤタノオオガラス。足が三本ありましょう。」

 

「これをどうするのです。」

 

「射るのです」

 

「熊野の護法を射てどうなさる!敵は命婦ですぞ。」

 

「熊野の護法に弓引くも命婦のせいというわけです。」

「無茶苦茶だ!」

 

「呪術とは時に無茶苦茶です。無茶苦茶だから効くともいえる。」

「罰が当たりましょう。」

久光は笑って「そうです。命婦に当たるのです。」

 

熊野権現と言えば戦国時代は約束事の神でもあり、熊野のカラスの図案で作った文字「熊野の牛王宝印」は誓紙として大きな力を持っていた。

つまり約束を違えれば権現の罰を受けるのである。それだけに江戸の今も熊野権現は別格に神秘的な存在だった。

久光はなにやら呪符やら梵字やら書き込んだ弓を取り出し、二間の部屋を開け放ち、

 

「物の怪にひいて放つは梓弓、熊野の護法を恐れざらめや ウン シッヂ」

という呪歌とともに次々と108本の矢を放ち射込んだ。

 

矢は全部で百八本、全部射尽くすのに一時はかかった。

藁人形は百八本もの矢を射込まれてもう原型をとどめていない。

「これでなんとか、なろうかと思います。」

 

射終わった久光はかなりぐったりしていた。

「今日はこれで私は休みます。お引きとりを」と言って新右衛門は返された。修法の値は十両だった、月々一両でいいと言ってくれたとはいえ、いやはや呪術とは金のかかるものだと新右衛門は嘆息した。

「これも商売ですから」と久光は笑って云った。そういう欲は飾らぬ男だった。

 

それから数日たって噂を聞いた。

 

ある外様大名が百足大権現を訪れた。命婦の評判を聞きに前世の話を聞きに来たらしい。命婦が前世を語るにあたり、何と、愚かにもその大名を「豊臣秀吉の生まれ変わり」などと言った。

 

この時代は徳川政権下で豊臣秀吉の名は禁句である。

 

歌舞伎でも「真柴秀吉」などと言い換えて太閤記を上演した位だ。

豊臣と徳川の戦いは百年以上、昔のことではあるがこれが幕府に聞こえれば大ごとだ。ただでさえ外様は戦々恐々である。

 

あるいは豊臣の名を出して諸国の外様に呼びかけるではという言いがかりも可能だ。危険極まる。

 

大名は考え抜いた末、自ら寺社奉行に話を持って行った。

 

これにはさすがに寺社奉行も動いた。町方に命令は飛び、早速、「百足大権現」には役人が押し入り、命婦以下一同はお縄となった。

 

後の話ではカエデという女は命婦の姪で両親が亡くなったので命婦が引き取り、美貌を利用して陰では売春のようなこともさせていたらしい。

手下の男たちもいずれも賭場の常連で素性の良くない者たちだったという。

命婦は本名は久という女で播磨の神官の娘だったが、見よう見まねで神事を憶えたようだ。

久は妄想というか、でまかせを堂々という癖があった。

悪いことに少女のころからあてずっぽうで行ったこともあってか、けっこう人は真に受けるものだとどこかで味を占めようだ。本人は本気でそれを自分の神通力と思っていたようだ。

 

新右衛門はそののちに華蔵院に寄って僧正にも事の顛末をかたった。

「熊野権現を射る、陰陽道の技には恐ろしきものがありますなあ。」

「密教にも調伏という恐ろしい修法があると聞きました。」

僧正は笑って「ありますな。私はしたことはございませんが。」と笑った。

だが、僧正とともに本堂にお参りした新右衛門は不動明王の前に「辻井家息災」と書いた小さな木札が置いてあるのを見のがさなかった。

どうやら夏からずっと祈ってくれたようだ。

いつの間にかヤモリも来ていた。

「お主にも世話になった」相変わらずニーッと笑った。

 

いなくなった小助の代わりにヤモリが矢守弓之助という名前に改めて辻井家に乞われ中間に入ったのはこの年の暮れだった。

 

おしまい




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