「転生したらスライムだった件」という奇妙な題名のアニメがあるそうだが、ほとんどみたことはない。
でもスライムが不定形のポヨポヨしたものというなら私のご祈祷の観念はこれに近いのだ。
御祈祷すると自分の形は崩れ一種の空間と化する。
空間というと漠々としてつかみにくいからスライムといった方が理解しやすいと思うのだ。
その空間がどこまでも広がり祈願の対象者も取り込む。
スライムの中では私も他人も本尊も真言ももう区別はない。
そういうのがどんどん広がる
その中での調和がとられれていくイメージ。
自分が光を放ってそれがどこまでも届くというイメージもきくが、それでは光源としての自分が固定されて仏教としては違うと思う。元だの末だの内だの外だのというのは仏教的じゃない。梵我一如も違う。
まあ、スライムというのも良い表現でないかもしれないが今はそういう風に思う。
古典的にこれが月輪観のイメージにあたるのだと思う。