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小説「呪師」其の弐拾壱

だが華蔵院ではその後日談がまだあった。

泰岳が自室で行李から供養次第を出して眺めていたところである。

勿論辻井家の猫供養のためであった。

 

「泰岳、少しよいかな。」と声がしてふすまが開き僧正が入ってきた。

 

「そなたは今回の件は何をもって祈るかの?」

 

「はあ、読経に少し迷いがあります。」

 

「阿弥陀経を読むのがわが宗派では普通の法事ですが、猫は畜生故、阿弥陀経はふさわしくないかと…少し迷っています。」

 

泰岳は天台の流れにある本山派の山伏であり、「例時作法」という阿弥陀経の読誦作法をすることが多い。

極楽浄土には地獄、餓鬼、畜生の三悪道の衆生はいないため動物は極楽に行かれないという考えがあったからだ。

 

極楽にすんでいる所謂、極楽鳥などはすべて阿弥陀如来の神通によって極楽を荘厳するために仮につくられたものという。

 

「故に観音経が良いかと・・・」

 

「泰岳よ。猫の供養と申したのは実は方便じゃ」

 

「え‼でも・・・なに故そのような方便を?」。

 

「猫の霊ならヤモリがひっとらえて壺に封じ、わしが読経し既に鎮めた。猫はもう迷ってはおらぬ。」

 

「…ではお師匠は何故に私に猫の法事をせよといわれたのですか。」

 

「目的が違うので通常の読経法事ではいかぬと思う。お主に光明供をしてもらいたいためじゃ。」

 

「光明供ですか。」

光明供は光明真言の密教の秘法であるが、供養一般のみならず、鬼病のためにも拝まれる秘法である。

「オン アモキャ ベイロシャナ マカモダラ マニハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」という光明真言は古来密教では最高の真言とされており、この真言で加持した土砂を墓所に撒けば亡霊は得脱し、また敷地に撒けば種々の災禍をも免れるとされていた。

 

「猫の法要と見せて屋敷全体を光明真言の三昧に入れて災いを絶て。まことの災いはほかにある。」

 

「ならばなぜそうとお師匠様は岩間殿にお教えにならなかったのでしょうか?」

 

「辻井家の面々は皆猫の悪霊のことばかりに気がとられておる。今は何を言っても無駄だろう。すでに猫の霊は去ったと言っても聞き入れず疑念を抱くのみだろう。」

 

「では、小助という中間が原因不明の病で寝込んでいるというのは猫の祟りとは関係ないということでしょうか。」

 

「なんであれ、これで悪しきものは一掃できると思う。」

 

さて法要の当日となった。

 

光明供は完全に密教作法である。

必要な密教の法具なども並べるため、ヤモリが荷物をもって泰岳に随行した。

道場は屋敷の茶室と定めてシズノと菊姫も出席しての法要となった。

 

ヤモリは法要には出ないで屋敷の前庭でブラブラtと待っていた。

 

縫が所用で通りかかり「あら「、お小僧さん、今日はおともなのですか。ご苦労様。」と挨拶した。

 

ヤモリはただ「へへっ」と笑って返した。

「この間はお手柄でしたね。これで御屋敷も息災になるといいのですが・・・」

 

「小助がすっと具合悪くて・・・やはりあの猫がまだ障っているのかしら。」

 

「猫はオラが引き取った。もう障っちゃいねえ。」

 

「そうねえ。ならなんでかしら・・・。」というと、

ヤモリはクンクン鼻を鳴らし始め、

 

「ん、ここがくせえな」

と門のところへ行き、しばらくガサゴソしていたが、

「あったぞ!こいつのせいだな。」と先に忌部光久が仕込んだ人型を見つけてひきぬいた。

 

「これだ、これだ。こいつはオラがもらっていく。和尚さんに見せるだ。」




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