さて。屋敷に還ると猫を川流しにいかせた小助という下男が寝込んでいた。
これはどうも久光の心配していたように川流しの際にしくじったか?と新右衛門は思った。
中間(ちゅうげん)部屋にいき小助を見舞うと、真っ赤な顔で唸っている。
声をかけても返事すらない。
同じ中間の善太に「医師の安藤先生は呼んだのか?これが流行り病だといかんぞ!」というと、シズノがすでに呼び寄せたが、原因不明だが頓服を置いて帰ったので呑ませたとのことだった。
それでしばらくはよいようだったが一時ほどしてまたこのような有様になったという。
新右衛門はこれはおそらく医術の分野では無かろう。もう呪術の力でないとダメかもしれないと久光のもとに善太を走らせた。
だが一時半ほどして帰った善太は、「忌部様はあいにく遠方にお祓いに出かけており、近所の者に聞くと明日にならないと帰らないといっていたそうです。」とのことだった。
この話のやりとりは奥向きにもすぐに知れた。
「せっかく追い払ったあの猫の霊がまた戻っては困ります!」
シズノがやってきて「こうなったら、華蔵院のあのヤモリでもいいから今一度、呼んできてくだい。」と新右衛門に頼んできた。
新右衛門はあまり気がすすまなかったが、確かに亦、あんな難物の猫の霊がとりついたのでは困る。
「今度こそ僧正に護摩を頼んだらどうでしょうか。」というと、
「僧正が護摩で退治できるくらいなら、あのヤモリを屋敷に連れて行けとは勧めないでしょう。」という。
まあ、道理かもしれない。
さっそく華蔵院に向かったが、晩秋の日は短い。
着くころにはもう少し薄暗くなっていた。
華蔵院に行くと外でだれかが落ち葉を集めて焚火をしていた。
見ればヤモリだ。
新右衛門が近づいて「焚火か。」と問うと。ヤモリは木の枝で焚火をつつきながら「いいや、芋だわ。」という。
なるほど、見ると皮がこげた甘藷が焚火の落ち葉の間に見えていた。
「僧正様はおられるか?」
「いなさるだろう。」
「取り次いではくれぬか。」
ヤモリはなんで俺が?という顔をした。
「しょうがねえな、イモが丁度うまいぐあいに焼けたところなのによ。」
「・・・すまぬな。」というと
「じゃ、まってろ!」といって庫裏の方へ走っていた。
今はヤモリの態度のことなどで物議をかもしている暇などない。
もとよりそうした礼儀などは知らない男なのだと思った。
やがて役僧がやってきてこちらへと案内された。
「なんでござるかな、」
僧正はもう白衣の上に簡単にちゃんちゃんこをつけて出てきた。
「もうこの頃は少し夕方から寒うござるな。おい、火鉢。火鉢!」という遠くから焼けた炭火をもって先ほどの役僧が現れ火鉢に火を入れた。
新右衛門は一礼した。
「いや、こんな時刻にお伺いして申し訳ございません。ことは急を急ぐかと思いました故、無礼も顧みませず・・・」と前措いて新右衛門は話し出した。
新右衛門は忌部久光の言ったことを話し、小助が猫の川流しに失敗したため、亦もや、屋敷に猫の霊が戻ってきたのでは家中一同で危惧している旨を話した。
「なるほどのう。川流しか。・・・
しかしのう、陰陽師はともかくも私ども僧侶に言わせればそこはいささか違うのじゃ。
それだけの祟りをなすものは畜生と謂えども、怨みはそうとうに深い筈。
遺体を川などに流すも良いが、その前に経文や陀羅尼の一巻も読み授けて法施をおこない、その怨念を鎮めてやることが大事ではなかったかのう。」
「たしかに…そこは気が付かなかったところです。お恥ずかしい。
皆々たかが畜生と侮っていたようです。」
「一寸の虫にも何とやらというではないか。ましてや獣ともなればのう」
「今からでも供養してやることはできませんか?}
「ううむ、そうじゃのう・・・しないよりはよいとは思うが、そうじゃのう・・・おい
泰岳はおらぬか?」
呼ばれて先ほどの僧が現れた。筋骨逞しく胸板の厚い頑健そうな僧侶だ。眉太く血色も良い。年齢は新右衛門とそう変わらないだろう。
武芸者のような感じすら受ける男だ。
「これは泰岳と申しましてな。いささか修験を学びし者。この者をお屋敷にやって猫の供養させましょうか。」
「猫の供養を当屋敷でですか。・・・」
「さよう惨殺されたものはその場に強い念を残します。まず御屋敷において、それを鎮めることが肝要ではないかと思う。」
とのことで、新右衛門は猫の供養会を屋敷で行うという提案をもって寺を後にした。