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小説「呪師」其の九

「それはわかりません。・・・だが、やってみる価値はありましょう。」

 

「護摩には菊様を伴いますか。」

 

「来られるならそれが一番いいが、おそらく見えますまい。

ただ、真言秘密の法というのは距離は関係ないのです。そこにいようといまいと。」

田島が「でも来られた方がいいと・・・」というと

「それは前向きな方が良いにはよいでしょう。」

 

再び、新右衛門「ではいつから焚いていただけますか。」

「曜宿相応の時分を見て焚きましょう。そうさな、近いところを言えばうん、明後日が良いかも、」

「是非!」といって明日の護摩には辻井の奥方シズノとこの両名がうかがうことになった。

帰り際にこれを家の四方に貼ってくださいと梵字をしたためたものを頂いた。

「これは?」

 

「この梵字の現すのは四大明王と申して大変力のある御仏の真言です。上に方位が記してある。お屋敷の東 西 南 北にそれぞれお貼りください。」

 

一行が家に帰ってみると奥の部屋で何やら笑い声がする。

 

行ってみるとなんと菊と主計が歓談しているのであった。

菊の笑い声を聞くのは数ヶ月ぶりだ。

 

シズノが座敷に入ると、さっと菊は向き直り「あ、お母様、本当にこのたびは大変なご心配かけました。」と深々と頭をさげ

「ですが、ご安堵くださいませ。菊はもうすっかり大丈夫でございます。」

 

菊の元気な様子に「ええ、お菊、まあ・・・」シズノは声を失った。

そこには血色の良いにこやかな顔をした若い娘がいるだけだったからだ。

 

新右衛門と田島もふすまの外で「殿、ただいま帰りました。」一礼して許しを請い座敷に入った。

「どうであった?」と聞かれるが、そこには菊が依然としてすわっている、甚だやりにくい。

 

「・・・一応、明後日がよいということで、魔性調伏のお護摩をお焚き下さるということです。」

 

「そうか。そうか。魔性調伏の護摩を焚く。まあ、いいだろう。だが、菊もすっかり本復したようだがな。」

主計は菊の本復をひたすら喜んでいて、もう話半分にしか聞いていないようであった。

 

だが、この話にお菊は急に表情を変え、主計に向かって「お護摩とは何のことでしょう。わたくしはもうよくなりました。わたくしは父上や母上を心配させたのです。この上はもう無用なことはおやめください。」と真顔で言った。

 

新右衛門は「もうお願いしてまいりました。御仏の御加護があるのは悪い事ではございますまい。」という。

 

そして件の札を四枚出して「これを四方にはってくださいとのことでした。」と言って披見した。

 

菊は血相を変えて「なんですか!このようなもの。こんなものを四方に貼ればまるでこの家のうちに魔ものでも忍び込んでいるようではありませぬか。下の者がこれを見てどう思うことか!」と興奮気味だ。

「そもそも新右衛門殿、父上から聞きました。そなたはわたしをなにか憑き物つきのように言っていたようだが私はこのとおり元気です。」

主計に向き直り

「父上。その様な禍々しい札を張るのはどうか無用になさってください。」

 

「いえ、・・・私は何もそのようなことを・・・断定的に申したわけではございません。」新右衛門は菊の気迫に押された。

菊の勘気はやまない。

「ならばもういいではありませんか。そのような物は見るのも嫌です。

そのようなもの屋敷の四方になど貼ってはなりまぬ。

それともそなたはあくまで私を笑いものにしたいおつもりなのですか!」といつもの姫とは思えぬ語気の荒さであった。

 

「新右衛門もうよい。それは無用にせよ。もうよい。大儀であった。さがれ。」という主計の言葉でその話は終ってしまった。

田島が最後に「姫様は本当にこの前までのことは全て憶えておいででないのですか?」と恐る恐る尋ねた。

それに対してはもう菊は何も言わなかった。

 

そして主計の方に向かって「父上様、明日、新右衛門殿を使いに出して明後日のお護摩もきっとお辞めになってくださませ。菊はそのようなこと好みません。」とキッパリと言った。

 

かくして華蔵寺でもらったお札は壁に張られず焚きつけになる定めとなった。




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