辻井はまたも迷いだした。
「治ったのでは…」と思いたいのだ。
しかし、シズノは「いいえ、華蔵寺へ参って、念のために話だけでも聞いていただくべきです。」と強く主張した。
この時は辻井家の用人である堀田十兵衛なる者も奥方とともに辻井の後を押した。
「お気持ちはよくわかります。当家の外聞もありましょう。ですが、このようなことを繰り返していては最悪のこととなるやもしれませんぞ。」
十兵衛は背丈は低いが小太り、白髪頭にガマガエルの様な顔、目はぎょろりと大きく力がある老人であった。
主計もようよう折れてまずは。近隣にあるシズノの実家の旗本屋敷を通して面会を申し込み、またまた、新右衛門と田島が華蔵寺につかわされることとなった。
華蔵寺は護摩の寺というように密教寺院である。
住職は悠慶僧正であり、さる藩の江戸屋敷で護持僧のように扱われているという。年齢は七十代後半ほどであろうか。
広い客殿で客殿と田島は僧正に相対しすわった。
僧正はやせた細身の老人だが背筋の伸びた姿勢で穏やかさの中にも強いものを窺えた。
さっそく、常の挨拶から始まり、持参した包みを解いて主家からの「心付け」等を出して、いよいよ今日寺を尋ねた訳をはじまりから話した。
新右衛門は一通りの話を終えて尋ねた。
「僧正様、わが姫は一体、つきものなのか、病なのか、我等、その判別もできずほとほと困っております。何卒ご教授賜りたく、かくはまかり来しました次第です。」
悠慶は「まあ、お会いしてもいないのだが、こうしたものは大体が病半分、憑き物半分が多ござるな」
「病半分 憑き物半分?果たして、この世に憑き物のようなものはあるのでございましょうか。」
「さよう。世の中には目にはみえぬ生き物もござる。かの法華経にもあるが、天 龍 夜叉 乾達婆 阿修羅 迦楼羅 緊那羅 摩悟羅伽というものがあると書かれておる。」
「それは幽霊、妖怪の類ですか」
「幽霊は人の亡くなりし霊。違います。妖怪と言えば少し近いが、神の様に力のあるものも多い。仏典にはこれを八部衆というのです。」
「そういうものがあって人に憑くと?」
「いや、いずれも天竺の鬼神、わが国でそこまでのものはまれじゃとは思うが・・・」
「では、では獣が、禽獣が人に憑くことは果たしてありましょうか?
実は私はさる尼僧の言葉に。世間で言う狐や狸のような動物が人に憑くような力があるなら簡単に猟師などに捕獲される筈がないとうかがい。そこは納得しましたが・・・。」
「ウム、だから病半分と申しておるのです。
魔性が勝手に取り付けるなら、姫御前でなくともお手前方でもそうなってなんら不思議はないでしょう。
人は悩みの器。しかも大聖釈尊はこの世は四苦八苦の娑婆なりと言われておる。人間だれしも病にかかる。心も病にかかることは程度の差はあれ珍しくない。」
「ではわが姫は心の病が先にあったと」
「姫御前のこころの傷がいかなるものかは存ぜぬが、姫様にもそれなりの苦悩というものはありましょう。
まして若い女性は多感なもの。
苦悩は誰でもあるが、それがなんであれ、それに深くとらわれれば心は自由を失って時に病になるのです。」
黙っていた田島が尋ねた、
「では和尚様は姫様はやはり気がふれていると!」
田島は吉祥庵で聞いたようにその傷こそが姫がいだく自分への恋慕の想いなのではないかと思い込んでいるのだった。
悠慶は笑って「そうはいっておりませぬ。だが魔性のものというのは人の持つ心の傷を何倍にも広げてしまう力があるのですわ。
人は普通は誰でもそうした小さな傷をもっておる。傷が治らず広がることもある。
よほど強い御仁以外はあることよのう。」
今度は新右衛門が尋ねた。
「ではそれを治すには心を強くせねばならぬということでしょうか?」
僧正はうなずいて言った。
「そうじゃ。それが修行というものです。
仏道でもそこを抜きでは成り立ちません。
じゃが、・・・まずはその心の傷を広げて居座っているものを去らせねばそれも難しかろう。」
確かに・・・今の姫には断じて修行の様なことができるものではないなと新右衛門は思った。
そして「では僧正様、これはいかにすればよろしうございますか?真言秘密の護摩の法力で魔性を退散させるとかはできませぬか。」と聞いた。