「異常者の相手は疲れた。いい加減に終わりにしたいのは私の方だ」
これは「鬼滅の刃」での鬼のラスボス「鬼舞辻無惨」のせりふ。
「無惨サマ」ではないが時々そう思う。
自分の幻覚を是としておしつけてくる無茶苦茶な人たち。
いくら「そういうのはしないです」といっても後を絶たない。
「狐がついているんです」
「会社の同僚が呪詛してるんです」
甚だしいのは「夜に霊に強姦される」とか
断っておくがそれを頭から否定しているわけではない。霊というものはあると思うし。
で、一応話を聞くといずれも自分がそう思うという以外は何もないのだ。
狐と言ってもどうして狐がついたのかのも思い当たらない。
ただ狐だと思うだけ。狐こそいい迷惑で気の毒だ。
呪われてると言っても呪符が送られてきたとか、藁人形に自分の名前が書いてクギ打ってあったとかではない。
「思い込みでは?」というと「私には霊感があってわかるんです!」とくる。
そこは頑固であることは皆さん共通している。
そういう方にはプラセーボ的になんかやって「これでとれましたよ!」という方法もあるという先生もいるが・・・それもいいかもしれないが、一種の心理療法ではあっても祈祷のフェイクだと感じてしまうので私はしません。第一効き目は持続しない、
もっとひどいのは現実に泥棒されるんですが警察にいっても証拠も形跡もないと相手にされない。
「きっと泥棒と警察がグルなんです。やっている人にこころあたりあるので調伏してください。」
こういう人間を相手に押したら妄想でなにを言い出すかわからない。
何か対処すればそれで終わりではないのだ。
あとあとくる。
それでは慈悲が足らない?
足らないかもね。
だが、できることとできないことがある。
どうにもならないものに手をつけないのは私の慈悲の基本なのだ。
それをあえてするのは慈悲ではない。自分の立ち位置だけしか視野にない「愚かな行動」だと私的には思う。