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生きているのを疑問に思うまで 

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いかなることであろうと4人も人を殺して極刑は免れるとは思えない。

死刑は当然だと思うが・・・

絞首刑は嫌だそうだが、被告も人である以上、さりとて生きていても疑問におもわないだろうか。

こんな極悪人はさっさと死ねとも思うが…一方、疑問に思うまでは生きていてほしいと思わないでもない。

 

ここで撃ち殺そうとしてできなかった母の心情は察するに余りある。

 

このようなことになるのを仏教で「業」と呼ぶ。

 

業は科学ではなく、考え方であるからこの母親がいかなる悪いことをしたのかと言う反論に対する答えはない。勿論、現世ではないもないだろう。

 

反論できないのでなく、そういう「信仰」なのだ。

 

 

今世で憶えなきいかなる不都合も先世の業であるというのが仏教の欠くことのできない思想であるのだが、それは他人がとやかく言うことではない。

 

当人がそれを受け取って納得できるか否か?それだけである。

 

なんとなればそれは前向きに積善に生きるためにある教えであって罪悪感に沈むための教えではないのだ。

 

仏教は科学であるなどと言う阿保な学者はここの説明ができない。

仏教は科学などではない。鼻で笑うような認識だ。

そんなの科学が何かも知らないもののいうことだ。

科学と着けば素晴らしく思うのは迷信の最たるものだ。

 

「なんちゃらの科学」と言う新宗教教団があったが、あの霊界から人が下りてきて教祖さんがしゃべるのが・・・どこが科学なのだろう?

仏教ではないからどうでもいいが。

 

 

 

 




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