「恋慕の想い無し」も独行道の言葉
小説「それからの武蔵」は小山勝清さんが描いた巌流島以降の武蔵。

何度もドラマ化している。
私は萬屋錦之介さん主演のドラマがとても印象に残っている。
このドラマは時代劇の中では最も私に学びを与えた。
その名が天下に知れ渡った武蔵はついに将軍家から指南番の誘いを受ける。
だが対面の場で将軍家光は「一切を敵として修行してきた」と語る武蔵に尋ねる。
なれば父母はどうか?敵だと言えるのか?
父母の思いも過ぎれば修行の妨げです
そちは未だ妻をめとらぬと聞くが、女人はどうか?敵か。
そう思う私は弱い人間である故かもしれませんが、恋慕の思いが募っては修行の妨げです。
即ち敵。
では神仏は?
神仏と勝負を決することこそ最後の望みです。
武蔵、その方は一切を敵とみなしてきたと言ったな。ではこの家光もまた敵と言うのか?
御意!
何故じゃ‼ 予はその方の兵法を天下に広めたいと願うものぞ。
それがしの希望は剣をもって天地の理法を解き明かすこと。わが兵法を広めることではございません。
武蔵 情を知れ!知らぬというか!
重々の不調法にて・・・どうぞ武蔵目に武蔵目の道を行かしてくださいませ
将軍家指南番すら蹴る武蔵を前に将軍家光は怒りを露にするが…
武蔵はやおら
「上様、ただいま、数十年来それがしが修行の末に得たわが兵法の奥義、上様にお授けもうしあげましてございます。」と語る。
この言葉で家光は大いに悟るところを得たのだった。
将軍たるものに必要なのは刀の技量以上にその心
武蔵の言葉に家光は大いに悟るところを得た。
何ものにも心奪われぬ。わたくしの好悪を捨てる。
それは将軍にこそなくてはならぬ心だ。
とはいえ、恋慕の想いは大事だ。人生の一大事である。
それは時としていかに愚かしくともそれがあるから人の世は続いていく。
決して嗤うべきものではない。
ただである。
それは道を究めようとする人にはその限りではないのだ。
彼は道に恋慕しているのだ。他に心を置く余裕はない。
武蔵は一般の世上でなく、あくまで道を行く人に説いたものだと思う。
与謝野晶子に「柔肌の 熱き血潮に 触れもみで 寂しからずや 道を説く君」と言う歌があるが、・・・・
武蔵は別段、道を説くものではない。
説く以上に道を行くものだ。
かくあるべしと説くものは迷いもあれ、苦悩もあれ、葛藤もあれだろう。
だが、行かんとするものにはそこに理屈も苦悩もない。
邪魔なものは邪魔とするのみ。