大乗仏教の信仰は何となれば、つまるところ「仏性」を信仰している。
仏性をとりたててあえて一つの姿にすれば如来となる。
だが、真実の如来は虚空大地に遍満している。それが如来の真実相であり、仏像はそれを理解するためのツールでしかない。
「色をもって我を求め、音声をもってわれを求むることなかれ。その人は邪行を行ず」
(金剛般若経)
かたちとして言えば空
働きを言えば妙
そうした仏性への信仰だ。
仏性は万物に相即だ。
上座部の信仰対象は「教」である。
人間釈尊が説かれた解脱の道だ。
そこはまた大乗とは同じ信仰と言ってもまったく違う。
信仰しないからと言って仏性は罰など当てるわけがない。
一神教の神の様なものではない。
仏性を知らざれば無明の闇に浮き沈みの繰り返しと言うだけのことだ。