羽田談
わたしが初めて内宮に参拝して感じた内宮の神様、アマテラスさまは少女のような無垢なるお方。
この方を日本中の神様がお守りしているのだなあ・・・・と深く感じた。
ああ、こういう神様だったんだ・・・
なんか神々の上に君臨される女王のような迫力ある女神を想像していたが全く違った。
後に大森先生から能作生(如意宝珠)の話を聞いて、このことを思い出しこの無垢さが密教で言えば浄菩提心。
摩尼宝珠につながるのだと思った。
鹿島の参拝の時にもあてがはずれた。何か毘沙門天みたいな重厚な軍神かと思いきや
初々しい若武者的な神様だった。少年神だ。
この神が諏訪にましますタケミナカタノミコト・大龍神を制したのかと驚いた。
これを考えてみても私自身には霊感能力などないことが明白だ。
すべては感応同交のなせるところだ。
日本の神様は大体皆おおらかだ。
恐ろしく嫉妬深い一神教の神様とは違う。
聖書のマタイ伝に「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。」と言う一節があったと思う。まさに一神教の世界は争いがやまない。
神道では戦争のことも「ことむけやわす」という。
「言向け柔わす」
つまり講和にこぎつけるためのやむを得ぬ戦だ