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我他彼此 祈祷で障礙を受けぬ道

我他彼此

ガタヒシと読む、建付け悪いふすまみたいなもの。

私の師は可なり厄介な霊的祈祷もしたがいわゆる「業の帰り」そうした祈祷をすることにより施主の業からの障礙を受けることは聴かなかった。

なぜか?

「それはガタヒシがあったら受けるんだわ」といわれた。

 

つまり他人の業はあくまで他人のものと考えたらそうなる。

他人の業に障れば障礙になる。そんなエライものに触れてしまう。大変だ!

この考えは業を物みたいに考えもらったりわたしたりという考えだ。

 

確かに業を受ける人はいる。癌の御祈願ばかりしてたら、とうとう行者が癌になったとか言う笑えない話もある。

 

だが、そこを変えてみる、自分と他人の区別がなくなる。

別に無私無欲の善人とかにならなくていい。わたしもそんなものにはなれない。

ただ考え方を変えてみる。

他人のカルマは他人のカルマにあらずだ。

そうではなく他人の業は自分の業でもあると考える。

だから現に今拝む羽目になっているんだ。

よし、自分の業もこの祈祷をすることで一緒にかたずけてしまおう。

拝んで他人の業を解消するたびに解消すれば自分も楽になる。

ここが障礙があるないの大きな分かれ道だ。

我意の強い人 我欲のきわめて強い人は必ず受ける。

それはガタヒシの極みだからだ。

 

だから行者は自分のことは拝まないでいいと教えられた。

そこをあえてしっかり我他彼此で分ける人は必ずその業を受ける。

裏を返せば自分の希望もそれは衆生の必要として拝めばいい。

 




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