霊感のあるという人がうちに来ると大体がっかりします。
まず霊感というのは「主観の世界」なのでその人の話は否定はしません。
それは主観の世界だから当然です。
私が否定できるわけがない。
そこは尊重しています。
だが同時に肯定もできない。
それも同じ理由でできないのです。
この肯定されると思っていたがそうされない私の態度というのは霊感がある人にとってはかなりダメージを与えることもあるようです。
決して否定しているのではないのですが・・・わからないものをわかるとはいえません。
霊狐としゃべるくらいだからと言いますが、むこうからくるだけの一方通行です。
私がわかるのではない。
しかもその多くは考えてみれば当たり前の道理であって、逐一個別の事柄に口までは出さない。
彼は私が酷い目にあっても基本は自業自得で悟れと見守るだけの存在です。
でも、そう言う方の念頭にあるのはまず、第一に自分を本当の霊能者と認めてもらう。
第二段階に霊能者の霊感は本物と認めてその言葉は余人とは違う特別なものとみなす。本人も教団内で霊感あると認められている人としてふるまいだす。
結果、第三段階にその人は一般講員とは違うレベル扱いの人となってっくる。
ということでしょう。
別にそこまでの考えはない人が8割だと思うけど、第三者にはわからないものを認めて通用させるとなると自然と結果はそうなるのです。
あえてそうするとしまいにどうなる?
結果、内部に齟齬をきたして宗教団体として機能がおかしくなってしまった教団はいくつも知っている。
宗教者が教えよりも霊能者を自分のアドバイザーにするからそうなる。
そもそもそこは霊能者が悪いのではない。
依存する宗教者が良くないと思っています。
ゆえに私はそうしないのです。
聞くにしてもあくまでその話は個人的に聞くにとどめるべきだ。参考にするか否かの判断は自分が持っていないといけない
宗教的アドバイザーは自分であって、その舵取りをわたすのは違うと思うのです。
中には対等な立場で組みたいという人もいましたが、私は誰とも組みません。
どんなに普通心動かすことを言われても私のこころは動きません。
宿曜道ではパートナーのいらない というよりあってはならない星の生まれですから。
宿曜道を否定したら私の今までの多くのアドバイスを自らが否定することになる。
それはできない。人様はどうあれ、私自身は自らの術を信じている。
それで私の様なものでもなんとかここまでこられたと思っている。
故に仕事の上では余人の助けはいらない。淋しいことですが伴を絶する生まれです。
強い霊感のある方も何人かおられますが信徒さんは日頃秘めて口にしない方のみです。
あるいはもう自分でそれで仕事しているプロ。
いずれにしても一々もう霊感の話など外ではしない。
故に拙寺では概ね、我こそは優れた霊感があると豪語する人は最終的にはみな傷ついて去る羽目になります。
だけど何もがっかりする必要なんかない。
真実、自分にシッカリとした霊感があるというならそれを頼りに自己の道を生きていったらいい。羽田がどう思おうが関係ないですから。
「霊感」というその人の主観の世界において私などにできることなど何もありません。
その点は申し訳なくさえ思っています。
悪しからずお許しください。