これは実は動物学的な一説がある。
ワシやタカなどの猛禽がウサギなどの動物をとらえて引き裂いたものの破片が、皮が収縮して核となりこうした狐玉になるという。
修義や浴酒など懇意にご指導言いただいていた大僧正が「狐玉」を持っていたが信者さんにあげてしまったという話を直に聞いた。
比叡山の路上に落ちていたという。
「とってをいてあんたにみせればよかったなあ」と言われた。
非常に硬いもので好奇心で試しに刃物できってみようとしたがキレなかったそうだ。
同僚のご僧侶が「そんな事しないほうがいい。なにか、神秘的な力のあるものかもしれない。」というのでやめて保管した。
今は亡き修験寺院の宝満山大山寺の宝物台帳にも「狐のお宝」と言うのがにあったそうだが、同類の可能性は高い。
だがこうした狐玉も信仰していけばもちろん霊威は現れると思う。
理屈は木や石で彫った仏像でも同じだろう。いかに良くできていても木や石がそのまま仏や神ではない。すべては拝む側の信仰にある。心の一法により、大いなるものへ媒介することができる。
形は迷信でも正信になりうる。形はまともでも誤った信仰もいくらでもある。