ではなぜそんな恐ろしげで融通が効かない神様がいるのか。
それは必要だからだ。
いくらでも書き換え可能なら人間はどこまでも再現なく書き換えていくだろう。
そういう傲慢や自分勝手を戒める。
一つの願いが叶うのにどれほどのものが変更を余儀なくされるか私たちは知らない。
例えばあなたが聖天尊に祈って入試に合格したとすればだれかは落ちる。
会社の試験を超えて無事に入っても同じだろう。
願いによっては叶えることに犠牲が伴うこともある。
そこを重く受け止めねば信仰する資格はなかろうと思う。
祈願料払えばご利益はもらって当たり前とものの売買の様に思うのは大間違いだ。
ゆえにいう。
「祈願したら絶対に叶いますか?」と聞く人。たまにいる。
「そこは全くわからないですね。そもそも絶対なんかありえません。絶対がお望みなら祈願はやめてください。自分で祈るだけでいいでしょう。祈願料は祈願だけの志納料です。
たとえ叶わなくても祈願料はお返ししませんから。ご利益は金では買えませんよ。」
絶対といったらインチキと思うのがいい。